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大好きな気持ちで
Pawapuro9 Short Story

 

 薄い遮光カーテンの奥から差し込んでくる朝の日差しに起こされる。ボクが彼の家に泊まり、通い妻さながらな生活をするようになってどれくらいの時間が経っただろうか。けたたましい目覚まし時計の悲鳴に覚醒させられていた頃が懐かしく感じる。
 ボクはベッドから体を起こすと、殆ど裸の状態だった自分の半身を反射的とも言える反応で隠そうとした。近くにあった彼のパーカーを掴み取り、急いで袖を通した。小柄なタイプではあるけれど、やっぱり男の子だ。彼の上着はボクの腰のあたりまでを完全に隠してくれる。さて、これからどうしようかとボクは少しだけ思案した。部屋の真ん中辺りにあったガラスの丸テーブルの上に桃色のリボンが無造作に置かれているのを見つけたので、ボクは慣れた手つきで自分の後ろ髪をお下げにした。ふとベッドのほうへと目をやるが、彼はまだ眠っている様子だった。ボクは少しだけ迷った後、制服に着替えることにした。部屋の隅に置いてあるポールハンガーに掛けてあった制服に手を伸ばして、ボクは無意識に彼の顔に視線を向ける。彼がまだ眠っているのを確認してからボクはパーカーを脱いだ。その後自分でも不恰好だと思うほど急いで下着をつけると制服を着て、スカートに足を通す。髪の毛は少し乱れていたけれど、それを直すのはもう少し後でも良い。ボクは少し肌寒さを感じながら、とにかくキッチンへと向かった。

 

 

「えいっ」
「うわっ」
 朝食を作ろうと思ったけれど、その前に彼のベッドに飛び込んでやった。彼は目を覚ましかけていたのか、ボクが抱きつくと同時に目を覚まして、彼にしては珍しい悲鳴のようなものを聞くことが出来た。
「おはよう、ねぼすけさん」
「ああ、おはよう、あおい。なんだ、もう制服を着ているのか」
 彼、一文字明彦くんは薄目でボクをじっと見つめた後、左手で頭をかきながら軽くあくびをした。羽毛布団は胸の辺りまでかかっていたけれど、肩が出ている。彼の、男性にしては少し狭めな小さな肩。
「うん。あまり時間もないしね。明彦くん、何が食べたい?」
「トーストと目玉焼き。あとコーヒーも入れてくれ」
「りょーかい」
 ボクは彼の頬に軽くキスをすると、ぴょこんとベッドから降りた。その時、明彦くんの右腕がボクの肩に伸びていた。
「うん? どうしたの? 明彦くん」
「何か手伝おうか?」
「ううん、いいよ。明彦くんも学校の用意しなくっちゃ」
「わかった」
 そう言うと明彦くんはベッドから降りた。小柄で女の子みたいな体系だけれど、しっかりと筋肉はついている。腕に浮いた血管や逞しい背中に、ボクは今更ながら赤面するほど目を奪わされてしまう。明彦くんはボクの視線なんかにまるきり気づいていない様子でてきぱきと制服を着込むと、授業の用意をするために自分の部屋へと消えていった。明彦くんは高校生だというのに3LDKのマンションに住んでいる。実家がすごくお金持ちで、小さな頃からお金に不自由を感じたことがなかった、と事も無げに言っていたことを覚えている。そのときボクは呆れとも羨みともつかない感情でいっぱいになっていた。
 明彦くんのいなくなった寝室に目を向け、ボクはもう一度キッチンへと足を進める。そろそろ朝食を作り始めないと本格的に遅刻してしまいそうだ。

 

 

 出来上がった朝食“らしきもの”に、明彦くんは呆れているのか驚いているのか喜んでいるのか、なんとも判別のつかないような目線を落としていた。コーヒーカップに口をつけ、その後唇だけでふっと笑って見せた。彼の癖のようなこの笑い方がボクはとても好きだったけれど、その時はひどく悲しく思ってしまった。
 真っ黒に焼けた、というか焦げきった食パン。所々まだらの様に黒くなった目玉焼き。多分、明彦くんが今飲んでいるコーヒーもきっと……そんなことを思いながら自分のマグカップに口をつける。
 苦っ。
 なんともないような表情で飲んでいた明彦くんが信じられなかった。ボクは、「苦いね」と自嘲する様に同意を求めたが、明彦くんは相変わらず小さく微笑を浮かべたまま「ああ」と答える。
「ご、ごめんね。いつも失敗ばっかりで」
「……。いや、美味いぞ」
 明彦くん文庫本に目を落としながら、食パンをガリガリと音を立ててかじっている。普通のトーストならあり得ない音で、その度プレートに細かい焦げが落ちていった。
「嘘。こんなの美味しいわけないよ」
 ボクはそう言って、自分のトーストに口をつけた。がりっと音がして焦げが落ちる。喉の奥にむっとするような苦味がやってきて、その後むせ返りそうになるほどのバターの匂いが鼻に抜ける。
 不味い。
 やっぱり、不味い。ボクはそれから何かを喋る気にもなれず、料理に手をつけることもなくじっとしていた。明彦くんは相変わらずガリガリと食パンをかじり、ガリガリと音を立てて目玉焼きを食べていた。
「なあ、あおい」
「なに?」
 ボクはこの失敗作をどうやって片付けようかと、そんなことばかり考えていた。
「この料理、どんな気分で作ってくれたんだ?」
 明彦くんは文庫本を閉じて、ボクの目をまっすぐに見ていた。その時にはもうすでに彼の料理は八割方なくなっていた。
「どんなって、もちろん明彦くんのことだよ」
「俺の?」
「うん。どんな味付けが好きかなとか、美味しいって言ってくれるかなとか」
 ボクはそんなことを言っていると、ますます惨めに思えてきた。あんなに彼のことを思いながら作っていたのに、出来上がったのはこんな不味い料理だ。どうしていつもこうなってしまうんだろう。ボクは泣きそうな気分だった。
「それなら、やっぱり美味いよ」
「え?」
「俺の好きな人が、俺のことを思いながら作ってくれた料理が、不味いわけないさ」
 そう言って、明彦くんはぽいと残った食パンを口に放り込んだ。
 馬鹿。
 そんなことを言うキミは馬鹿だよ。自分でも失敗作だとわかっているのに、自分でも不味いと思っているのに、どうしてキミはボクを庇ってくれるの? いやな顔一つせずに残さず全部食べてくれるの? 自分だって食べられないと思うほどだったのに。
 明彦くんはコーヒーを飲みながら、文庫本に目を落とし始めた。ボクの返事なんて待っていないような様子で。彼はいつも自分勝手だ。言いたいことだけ言って、すぐに去ってゆく。ボクの気持ちなんて考えてもいないんでしょう?

 そんな風に思ってしまう自分が、とても嫌だった。

「あれはいつのことだったかな」
 明彦くんが文庫本を読みながら口を開く。ボクは思わず顔をあげて「え?」と返事をした。
「あおいがうちに来るようになってから間もない頃だったな。俺の作った料理をぺろりと平らげて、俺に向かって『おいしい』と言ってくれた」
 そのことならボクも覚えている。その時明彦くんが作ってくれた料理は豚肉のローストとポテトの付け合せにミネストローネというトマトのスープ。それからフルーツポンチみたいなデザートも出てきた。その料理がとびきり美味しくて、練習で疲れていたこともあってボクは明彦くんよりも早く食べきってしまったことを覚えている。そのとき少しだけ恥ずかしかったな、と思ったことも。
「あの時のあおいの顔を見て、俺はまた、お前のことをもっと好きになったよ」
 先ほどと同じ、けれど意味は違う微笑を浮かべながら、明彦くんはそう言ってくれた。
 あの時、ボクはちゃんと気づけていただろうか。彼が、明彦くんがボクのことを思いながら料理を作ってくれていたという事実に。ただ美味しい料理として食べてしまってはいなかっただろうか。
「でも、明彦くんが作ってくれた料理は本当に美味しかったよ」
「俺だって、本当に美味しいと思ったさ」
「嘘」
「嘘じゃない。俺があおいの料理を食べながら、どれだけ幸せに思っていたかわからないのか?」
 ボクは、その明彦くんの言葉に背中を押されるようにして、目の前のトーストを口に放り込んだ。焦げきって、冷えたトーストの味がのどに抜ける。ぼろぼろになった目玉焼きも、挽きすぎたコーヒーも、やっぱりボクには美味しいとは思えなかった。こんな料理でも、明彦くんは本当に美味しいと思ってくれたんだろうか。嬉しいと思ってくれたんだろうか。
「ねえ、明彦くん」
「なんだ」
「不味かったら不味いって言っていいんだよ」
「美味かったさ。本当に。それ以上疑うと怒るぜ」
「……ありがと」
 ボクは小さくそう言うと、食器を片付けるために立ち上がった。その時明彦くんも同時に立ち上がり、自分の食器に手を伸ばす。二人で後片付けをしながら、ボクたちは時折口元に笑みを浮かべていた。その笑顔はどういう感情から来たのか、自分でもよくわからなかった。
 でも、こんな朝ならなんだかいいかな、とボクはそんなことを思っていたんだと思う。
 もう十分か十五分もすれば家を出ないと間に合わない。その残された時間が、とても少なく思えてしまう。ボクは食器棚に背を向ける明彦くんの腰に向かって、思い切り両手を伸ばした。一瞬体をすくませて驚いたみたいだけれど、すぐに力が抜けていくのがわかった。明彦くんは食器を仕舞い終えると、向こうを向いたままゆっくり両手をボクの手に重ねてくれた。暖かい。
 料理は失敗してしまったけれど、そんなことは些末な問題だ。ボクたち二人なら、どんなことだって乗り越えられそうな気がする。安心。幸福。そんな二文字が頭の中で一杯になってゆく。

 

 ボクは彼が大好きなんだ。
 そして、これからもずっと。

 

 振り向いた彼の唇に、ボクはそっと自分の唇を重ねた。
 その時に自分の料理の余韻が思い出されてしまったけれど、それもやっぱり些細なことだった。

 



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