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#4.つま先立ちで(笑)

 

 思い切り振るったバットの感触が今でも手の平に残っていた。足立は口をつむぎ、黙ってそのバットを見つめている。なにが不満なのか、もはや自分でもわからない。だがそれでもその不透明な抗議がやむことはなかった。
 オレンジ色の夕焼けがグラウンドを照らしている。もう三十分もすれば目の前の人間の判別すら難しいほどの暗さになるだろう。まだ恋恋高校のグラウンドに明かりはない。なので必然的に彼らが練習を終えるのは日が落ちてからというルールがいつの間にか板についていた。
 遠くで都川がグラヴを外し、まるで犬のようにぷるぷると頭を振るっている。その瞬間、彼の周りで水飛沫が軽く飛んだ。どうやら彼はかなりの汗かきのようだ。そのくせスタミナだけは恋恋高校野球同好会一だというのだから、不思議なものだ。もっとも投手をしているのだから当然といえば当然なのだが――。この間は都川の唐突な思いつきで恋恋高校野球同好会の面々でフルマラソンを行ったのだが(もっとも、学園の周りを十周ほど走りこむという単純なものだ)、都川の成績は断トツで一位を誇り、あおいがひどく悔しがっていたのを鮮明に覚えている。ちなみに二位は酒井で三位にあおい、そのあとに足立と続いた。
「そろそろアガるか」
 バットを振り、桐島がそうみんなに話しかけた。ネットに向かって投げ込みを続けていたあおいがほっとため息をつき、その後照れくさそうに笑う。
「うん、そろそろ潮時だね。もうすぐ真っ暗になっちゃいそうだし」
 あおいの発言に嘘はなかった。先ほどまでは眩しい程の夕焼けがグラウンドを照らしていたというのに、今ではその夕陽も沈みかけていた。
「なあ、みんな」
 桐島のが鞄の中をまさぐり、そこから幾枚かの紙を取出した。どうやらクーポン券のようだ。
「これさ、近所のファミレスのクーポン券なんだ。みんなの都合がよければ、これから恋恋高校野球同好会の発足記念も兼ねて、親睦会といかないか?」
 桐島の発言に一番興味を示したのは、一番遠くにいた都川だった。都川はぴょーん、とうさぎ跳びの要領で桐島に近づくと、しゃがみ込んだままそのクーポン券をじいっと見つめはじめる。
「なんだよー、空気読めねーな、潤」
「へ? なにがだよ」
「せっかくだし居酒屋とかにすりゃーいいのに」
「オマエ、設立早々廃部に追い込むつもりか?」
「でもやっぱパーッとやりたくね? 酒入ってないとやっぱつまんねいだろ?」
「そう言うなよ。それに酒を飲みたがってるのなんて都川ぐらいだろ」
「ちぇっ。酒もない親睦会かよ。ま、おれは暇だから行くけどね」
「散々文句言っといて来るのかよっ!」
 ふむ、と足立は黙り込んだ。みんなでご飯を食べに行くなんて初めてのことだ。出来ることなら参加したいのだが……。
「あおいちゃんはどうする?」
 クーポン券を握り締め食い入るように見つめる都川はもはやなかったことにして、桐島がそう話しかけた。
「うん、そうだね。行くよ、はるかも誘って」
「よーっし。あとは酒井と朝倉達か」
「朝倉君達は……今日、先に帰っちゃったよ」
 ん、と桐島が一瞬閉口する。
 確かに朝倉と韮沢は恋恋高校野球部に入部したのだが、現在は正式な部活動でないため、早退や遅刻することが少なからずあった。まぁ開始時間や終了時間がまちまちなので、桐島自身あまり気にしてはいなかったのだが……。
「酒井は?」
「はるかに今日、休みだって聞いたけど」
「げげ、そうなのか」
「うん。風邪だって」
 ふうん、と呟き、桐島は少しだけ考え込む素振りを見せた。
「まあいいか。あと……」
 そこで目があった。
 足立は口元を少しだけ歪ませ、軽く微笑を浮かべるとぺこりと軽く頭を下げて見せた。
「ごめん。今日は僕、ちょっと用事があるんだ」
「え、そうなのか」
「うん。でも気にせずに四人で楽しんできていいよ。また機会があったら誘ってくれ」
「うーん、足立がそういうんなら……そうすっか」
 ちょっと日程が悪かったなーといいながら桐島はぽりぽりと頭の端をかいてみせた。くるりと身を翻す桐島にもう一度ジェスチャーで謝ると、足立は自分も着替えるために更衣室へと向かった。その時になって、やっぱり行けばよかったかなと少しだけ思ったが、足立の答えが変わるほどでもなかった。

 

 

「こんなところで何をやっているんだい?」
 足立の無粋な問いかけに、白川麻美はふん、と口を鳴らして答えた。
「シンゴが待ってくれと言ったんだろう」
「うん。でもさ、ただ待ってただけじゃないんだろう?」
 相変わらずだな、と麻美は思った。足立は自分で全てわかっているのに、あえてそれを相手の口から聞こうとする。嫌味なのか性格が悪いのか……まぁ、これはもはや麻美にとって慣れきった足立の性癖のようなものだ。麻美は動じる素振りもなく手にしていたルーズリーフを足立に手渡した。足立はそれを受け取り、軽く目を通すと、ほ、とため息に似た声をあげた。
「相変わらず良い目をしているね」
「そう」
 にこやかな笑みを携えながらも、瞳だけは鋭く、真剣だった。足立がそれほどまでに読みふけっているものは、いわゆる「スコアブック」のようなものだった。
 麻美は中学時代、野球部のマネージャーをしていた。それが野球を愛してやまない足立に少しでも近づきたかったという涙ぐましい努力なのかどうかはわからない。ただ、麻美は素晴らしいマネージャーだった。特にその機械のように正確な戦力分析は試合の結果に大きく貢献したといえるだろう。
 麻美は足立を待っている最中、暇つぶしがてらに足立たちの練習を見学していた。少し離れた場所にある第二校舎の前。おそらく、桐島たちには気づきようもないような遠い場所だった。しかも時間は二〜三時間というところ。にも関わらず、麻美はそこにいた四人全員の能力を簡単に数値化してしまったのだ。
「都川が制球力20、持久力が65、直球70……。へえ、これなら僕らの中学のエースよりもよほど高得点だね」
「うん。彼はすごくいい投手だと思う」
「で、あおいちゃんが制球力45、持久力35、直球30……あー、少し低いな」
「彼女はやはりストレートの球速の遅さが致命的だよ。多分、そのせいで他の数値にも少なからず影響があるんだろうね」
「桐島は……うわ、すごっ。打撃力80!? はじめて見るよ、こんな数字」
「私も初めて見た数値だよ。多分、甲子園に出るような高校生と比べても遜色はないよ」
「うーん、すごいなあ」
 舌でぺろりと上唇をぬらし、少しだけ黙り込む。その後、意を決したように口を開いた。
「でもさ、僕の点数だけやたらと辛くないかい?」
「くく。そんなことはないさ」
 ちろりと舌を出し、麻美が足立の顔を覗き込む。
「打撃力20……守備力30……捕手適正:マル……か」
「君だからといって極端に甘かったり辛かったりはしていないと思うんだけどな」
「うーん、それならなおさらにショックなんだよなぁ」
「まぁ、気にしちゃいけないよ。それよりも……」
 そう言いながら麻美はすっくと立ち上がった。そのあとにスカートの裾を払う仕草を見せて、もう一度足立の顔を覗き込む。足立との身長差は20cmほどだ。
「今日は、どこに行くんだったかな?」
 ああ――とだけ言い、足立は黙り込んだ。不思議そうに顔を覗き続ける麻美に、足立はずいぶんと無理をして笑みを見せることができた。その後発した一言は、麻美に対して多大な感情の起伏を与えた。呆れ、驚き、そして――悲しさ。
「バッティングセンター」

 

 

 パワフルバッティングセンターに来るのは二回目だ。以前は都川と共に訪れ、その時に早川あおいを勧誘したことをついこの間のことのように思い出せる。あの一度きりだったが、足立はこのバッティングセンターをいたく気に入っていたようだ。
 自動販売機でレモンの炭酸飲料を買い、軽く口をつける。練習の疲れのせいか炭酸飲料が飲みたくなる。桐島に見つかったら怒られるところだな、とそんなことを思って足立は一人苦笑した。
「君がバッティングセンターに興味を持っているとは知らなかったな」
 隣の麻美が皮肉を言うような風にそう話しかけた。足立は麻美の顔を覗き込むと、ふ、と口元で笑みを浮かべてみせる。
「まあね。野球部員としては当然じゃないかな?」
「よく言うよ。それでシンゴ。どのマシンにするんだい?」
 麻美の問いかけに、足立はん、と周りを見回した。
 パワフルバッティングセンターには五台のマシンがある。
 最高球速が120kmの「球小僧」、最高球速が130kmの「球小僧2」、最高球速が140kmの「球青年」、最高球速がなんと150kmの「球グレイト」そして――最高球速160km、チェンジアップも時折混じる「ボールキング」である。
 この近辺には先に触れたとおり高校野球の強豪チームが多い。なのでピッチングマシンのラインナップも錚々たる顔ぶれだ。もっともさすがに球グレイトやボールキングなどに挑むのは酔っ払いやうけ狙いの若者だけなようだが。
「さて、どれにしようかな……」
 その時、足立は一枚の張り紙に目を奪われた。人気の薄いボールキングへの入り口に張られた張り紙には、こんな一文が書いてあった。
「“ただいまバッティングイベント開催中。規定の得点以上でもれなく豪華商品が”……か」
 その先を進んで読んでみる。人気のないボールキングに人を呼ぼうという製作側の涙ぐましい努力のように見えるのだが、そのハードルはいささか高いように思えた。確かに商品自体は素晴らしいものがある。『球界サバイバルバイブル』という非売品の本に、いまや絶版となったかつてのプロ野球選手が著者の『野球島全12巻』。読めば間違いなく実になるし、レアものでもある。ただ――その得点が厳しい。10球中ヒット5本以上で野球島、ヒット8本以上で球界サバイバルバイブルだ。並みのマシンならともかく、ボールキングから8本以上ヒットを打つなんて、プロ野球選手でも至難の業のはずだ。足立は人知れずため息をつく。
「シンゴ、シンゴ」
 ん、と振り返ると、そこには麻美がとびきりの笑顔を携えていた。麻美は以前あおいが臨んでいた『ストラックアウト』のコーナーの前に立っており、その入り口にある張り紙に指を挿している。
「ほら、なにかピッチングイベントをやっているんだってさ」
 ストラックアウトのコーナーの前まで足を運ぶと、なるほど、確かにそこにはボールキングの前にあった張り紙と似たものが張ってあった。ということはこのストラックアウトも人気がないのだろうか。そしてやはり、その条件は過酷極まりないものだった。
「12球で全部射抜けば球界サバイバルバイブル。9枚以上で野球島か……。やっぱりプロでも難しいハードルだね」
「くく。ジョークだよ。さてシンゴ。君はどのマシンでやるのかな」
「え? どのマシンって?」
「決まっているだろ。ピッチングマシンは……」
 そこまで言ったところで、麻美の声が止まった。何も言わずにじっと見つめる麻美に、足立はまるで悪戯が見つかった子どものような眼で笑っていた。
「ダメだよ、シンゴ」
「うん?」
「ダメだよ……」
 蚊の鳴くような声だ。足立は右手の手のひらで麻美の頭をぽんと撫で、にこやかに笑ってみせた。その瞳に、汚れはただの一片も感じられなかった。そんな足立を見て、麻美は余計に顔を曇らせてゆく。
「相変わらず心配性だね。大丈夫だよ」
「でも」
「それに、僕だって馬鹿じゃないさ」
 足立がストラックアウトのコーナーの扉を開け、中に入ってゆく。バスケットの中に入っているボールは、12球。その中から一球ボールを取り出すと、右手の中に収めて見せた。その姿を見て、麻美は少しだけ表情を和らげる。本当に、少しだけだったが。
「シンゴ、もしかして本当にストラックアウトをやるの?」
 その問いかけに返事をすることはなかった。ただ、足立は曇りのない綺麗な笑顔を見せていた。バスケットの下にある機会にコインを挿入する。その瞬間、ストラックアウトの的ががたん、と機械音を立てた。おそらく、的がぶつかれば外れるようになった証拠なのだろう。足立はその後的をじっと見つめ――大きく、振りかぶった。

 

 

 昨日の疲れが残っているのか、少し倦怠感を感じる。足立は一時限目は休みを取った。いつも通り7時40分頃には登校していたのだが、授業に出る気が起きなかったのだ。一見真面目なようでいて、時折気まぐれを起こすのは足立にとってもはや、日課のようなものにもなっていた。
 ポケットに両手を入れながら、廊下を静かに歩いていく。授業中に廊下はしんとしていて、なんだか心が高揚する。声の大きめな数学教師の声に、少しだけ甲高い物理の教師の声、いつも冗談を飛ばしている世界史の教師の授業風景。いろんな教室の風景が音だけで浮かんでくるこの空気が、足立はとても好きだった。今頃自分たちの教室ではどんな授業がなされているのだろうか。そんな他愛もないことを考えはじめたころ、足立の足がはたと止まる。隣には一枚の真っ白な扉がある。ノックも簡単に返事も待たず足立はその部屋へと飛び込んだ。そこは――保健室であった。
 保健室に入ると、中には一人の女性が座っていた。オレンジに近い茶色の髪の毛は腰まで伸び、ところどころで跳ねている。前髪をきれいに分け、そこから釣り眼気味の細長い瞳が覗いていた。年のころは……20代後半くらいだろうか。若く見えるが、落ち着き払った物腰が壮年のようにも思わせる。そしてその女性は足立にとってとても馴染みのあるものであった。
「どうも、加藤先生」
 保険教師――加藤理香は足立を見ると、一瞬驚いたように眼を見開いたが、そのあとふうとため息をついて流し目気味に見つめてきた。
「あら、足立くん。この学校に入学してから見るのははじめてね」
「ええ、そうですね」
「ビックリしたわ。貴方がこの学校に入学するって聞いたときは」
「他に行くところがなかったんですよ、それに」
「それに?」
「加藤先生がいますから。それが決め手になったといってもいいですね」
 足立の返事に、理香はうふふ、と口角を上げて笑って見せた。
「それで足立くん。今日は怪我でもしたのかしら?」
「そう見えますか」
「見えないわね」
 そう言いながら理香は立ち上がり、目の前にあった冷蔵庫のほうへと歩み寄った。
「なにか飲む? 麦茶くらいしかないけど」
「いえ、お気遣いなく」
 足立はベッドの方へちらと視線を移動する。綺麗に畳まれたシーツと皺ひとつない枕がそこにあった。誰もいないのを確認してベッドに座ると、足立は理香に向かってぺこりと頭を下げる。
「また、いつものお願いできますか」
「そんなことだろうと思ったわ」
 理香は足立の目を一瞬見て、す、と入り口まで足を運ぶ。その後鍵を閉め、窓のカーテンも閉め切った。まだ朝方だというのに、保健室の中が似つかわしくない薄暗い空間へと姿を変えてゆく。カーテンの隙間から漏れる陽の光が理香の横顔を綺麗に染めてゆく。妙齢の女性の妖艶な姿。
「相変わらず几帳面ですね」
「誰が見てるかわからないもの。それに」
 椅子に座りこみ、理香が足立に流し目を送る。これは理香の癖のようなものなのだが、いまだに慣れない。足立は自分の胸がとくりと鳴るのがわかった。
「気にするのは貴方のほうじゃない?」
「一理ありますね」
 足立の返事を聞き、二人ともがふふ、と微笑を漏らす。理香はテーブルの上に置いてあった救急箱からゴム手袋を取り出し、それを手早くつけてみせる。その仕草に、足立はなんだか異様な色気を感じてしまい、一人赤面した。
「さ、はじめましょうか。足立くん?」
「はい」
「上着を、脱いで」
 その言葉が終わる前に、足立は詰襟を脱ぎ終えていた。隆起した腕の筋肉。カッターシャツの上からでもわかる逞しい胸板。細身に似合わず引き締まった体系である。どちらかというと中性的な顔をつきをしているので、男性らしい体つきにはいつ見てもギャップを感じてしまう。理香は足立の右腕を触り、その後肩、首筋を通り、頬まで到達してゆく。足立が静かに眼をつむったのを確認して、理香は――。

 

 いつもの、いつものこと。何故なら自分にはこうするしかできないから。理香に依存するしかできないから。今言った言葉は嘘ではなかった。理香がいるから、足立は恋恋高校を選んだ。その事実を、足立は今更ながら再確認していた。どこかへと飛びそうになる意識を保ちながら、それでもなんとか踏ん張っている。自分の選んだ道を進みながら、後悔をしないように進みながら、足立は足元を確認したい気持ちに襲われた。ゴールは見えているはずだ。それならば、足元を見失ってやしないか。理香の優しい手が、足立の気持ちを惑わせる。生半可な気持ちで決めたことじゃないじゃないか。そう、これは自分が決めたことだ。自分の決めた道。自分の選んだ道をまっすぐに進むためならば……

 

どんな“痛み”にだって、耐えてみせると。

 

 

 

 

 

>>#5.HAPPY DANCE


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