#8.悲劇の結末

 

 足立とあおいが連れられた先は、狭い袋小路であった。両隣には何やらよくわからない建物(足立はラブホテルかなとも思ったが、一見しただけではわからない)が高々と立っており、昼間だというのに薄暗い。しかも建物も塀で囲まれているせいなのか視界がやたらと狭く感じられる。まるで夕方から夜にかけての時間であるかのような明るさとなっていた。
 自分の隣にあおいが居て、前方に四人が立っている。一人足りないな、と思った。もっとも、どうせ路地の入り口辺りに見張りとして立たせてているのだろう。おそらく彼らはこういうことをするのが初めてではない。きっと慣れている。その証拠に立ち居地の移動や足立達への誘導など、すべてがすんなりとした様子で行っていた。
「なんだ、よく見りゃ可愛いカオしてんじゃん」
 中の一人がそう言いながらあおいのあごに手をかける。あおいは反射的にその手を払いのけるようにして手を振るが、男はにやにやとした笑みを浮かべたままで、まるでその反応を楽しみにしているかのようでもある。
「そう釣れない表情すんなよ」
「気安く触んないでよ」
 あおいは素っ気無く返事をする。声も震えておらず、はっきりとしたものであった。どうやら足立が思っていたよりは怯えた様子がない。
 さて、どう反応すべきか。足立はいつになく真剣な表情で考え込んでいた。
「ったく、めんどくせぇな」
 金髪の男がそっぽを向きながらそう言った。おそらく彼がリーダー格の者だろう。体格は他の者と比べてそれほど飛びぬけて立派というわけでもないが、態度が堂々としている。
 金髪は突然、足立が思いもしなかった行動に出た。
 バシッ、という甲高い音が響く。足立は自分の耳と目を疑った。一瞬呆けてしまったが、次の瞬間には内臓がぐちゃぐちゃにかき回されるかのような不快感を感じていた。
 あおいが、平手打ちを喰らっていた。
 あおいは自分の頬を右手で押さえながら、ねじれた首で地面を見つめている。おそらく、あおいも足立と同じような心持なのだろう。何をされた、何故自分は殴られた。そんな疑問が次々に浮かんでは消えてゆく。
「おいっ」
 足立は思わず大声を出していた。隣に居たあおいが一瞬体を竦ませるほどのものだった。
「何をするんだっ」
「るせえな」
 金髪がそう言い終わるか終わらないかというところで、足立は再び腹の奥に異物感を感じた。しかしこれは先ほどとはまた別物のものである。
 痛覚を伴うものであった。
 膝蹴りか。足立は両腕でみぞおちの辺りを押さえながら、なんとかそれだけ感じることが出来た。しかし金髪はその間に次の行動に出ていた。拳を思い切り振り上げ、俯いた足立の鼻が容赦なく打たれる。
「うあっ!」
 足立は思わず悲鳴を上げてしまった。
「足立くんっ」
「うぜえ抵抗すんじゃねえよ」
 金髪の右脚がぐうっと後ろに引かれた。足立は体を反時計回りに廻し、左腕の上に右腕を重ねて防御をしようとした。が、それも無意味なものだった。金髪の蹴りは足立の両腕の上から胸にかけて甚大なダメージを与えた。
 ばぐっ!
 そんな音がしたと同時に、足立の胸に嘔吐を伴う不快感が襲ってくる。思わず、足立はうずくまってしまった。
「さて、静かになったな」
 金髪はにやにやとした笑みを浮かべたまま、もう一度あおいの顎に手をかけた。
 今度はあおいは抵抗しなかった。ただ、信じられないというような瞳で足立に目線を落としている。
 足立はあおいの視線を感じとり、反射的に顔を上げる。
「よせっ、彼女に触るんじゃない」
「ああ〜? まだそんなこと言ってんのかテメエは」
 今度は両脇の男達の出番だった。うずくまった足立は抵抗をする術もなく、じっと耐えているだけ。それでも足立は、とにかく蹴られまくった。背中。腰。脇腹。いつ終わるのだという思いが浮かんでしまうほど、執拗なものだった。
 背中から熱を帯びた鈍痛がする。手先が痺れているいるような感覚。まるで、自分の体ではないような違和感を足立は覚えていた。
「さて、兄ちゃんはおとなしくなったな」
「きゃあっ」
 あおいの悲鳴。
 自分の耳をそぎ落としてでも聞きたくなかったあおいの悲鳴。
 金髪が何をしようとしているのかなどわからない。それでも、足立はふつふつと沸きあがる怒りを抑えることができなかった。何故自分たちがこんな目に遭わなければいけない? 自分たちが何をした? お前たちは一体何様のつもりなんだ?
「よさないかっ!」
 足立はそう叫ぶと同時に、金髪へと体当たりしていった。予想外の行動だったのか、金髪は足立の体を受け止めきれずに後方へと倒された。
「てめえっ!」
 金髪は受身をとったようで、大したダメージは負っていないようだ。もっとも、こんなことくらいでどうにか出来ると思うほど足立も甘くはない。しかし……相手は四人。仮に足立が武器を手にして暴れまわったとしても、勝ち目は薄い。どう見積もっても楽になんとか出来る人数ではない。そう思うや否や、足立は金髪の体を押さえながら一言だけ叫んでいた。
「走れっ!」
 その言葉が自分に向けられたものだと気づくのに、あおいは一瞬時間を要した。しかし、すぐさま足立の言葉に操られたかのようにあおいは疾走した。足立が金髪を倒してから二、三秒のことである。周りの三人はあまりのことに呆然として、あおいを逃してしまった。
「この野郎がっ!」
 金髪が倒れたまま右腕を振りかぶり、思い切り足立の顔面へと振り下ろす。足立は避けることも適わず、強烈なパンチを喰らってしまった。くそ、何度喰らっても痛いじゃないか。足立は金髪の体の上から思わず飛びのく。その瞬間、金髪はすぐさま後ろの男達へと指示を飛ばしていた。
「馬鹿野郎っ! 女を逃がすんじゃねえ!」
 金髪の言葉がきっかけになったように一人が走り出した。が、その内諦めたように立ち止まる。路地の向こうから男が一人こちらに向かって小走りで向かってきていた。見張りの男……そうだ。あおいはもう路地を出てしまったのだろう。こうなれば人目につかずあおいを捕まえることなど出来るわけがない。振り向いた男がきっと足立を睨んでいた。
「くそ、やりやがったなテメエ」
 ざっと五人の男が足立の周りを取り囲む。しかし、足立の表情は穏やかであった。
 これからおそらく、自分は袋叩きに遭うだろう。そんなこと、彼ら五人の表情を見ればすぐにわかる。しかし、過程はどうあれあおいを無事にこの場から離れさせることができた。それだけで、足立は安堵しきってしまっていたのだ。
「しかたねえなあ。テメエで鬱憤晴らさせてもらうか」
 どうぞ、ご自由に。

 

 

 路地を出たあおいは、何処へ向かうともわからずに走り続けていた。目の前の信号が赤に変わったので、はたと足を止める。乱れた息を直しながら、あおいは考えていた。思わず「走れ!」という言葉のとおり行動してしまったが、これでよかったのだろうか。あのまま放っておいては、きっと足立がひどい目に遭わされてしまう。それだけは嫌だった。自分のために足立が……そう考えると、あおいの瞳からじんわりと涙が浮かんでくる。きっとここが自分の部屋であれば、あおいの涙はとっくに流れていただろう。思わず叫びだしたくなるのをぐっと堪え、あおいは振り向いた。足立のいる、路地裏へ。今更自分が向かったところでどうにかかるとも思えない。それでも、足立を放って自分だけ逃げるなんていう真似はしたくなかった。あおいは足を上げて――。
「ありゃ? おーい、あおいちゃーん?!」
 あおいは思わず体を竦ませる。緊張が背中に走ったまま、あおいはゆっくりと振り向いた。
 歩道の向こう側から、見たことのある男がこちらに向かって手を振っていた。白髪(はくはつ)の背が高い男は、隣に黒髪の小さな男と並んで歩いており、それは以前恋恋高校を訪れた聖皇学園の二人であった。
「どうしたの一人で。なんか用事?」
 白髪の男、陽崎直人がそうあおいに話しかけた。
「え、あ、うん」
 あおいは思わず肯定の返事をしてしまった。なんでそんな嘘を――そんな後ろめたさからか、あおいは陽崎から視線を反らせる。隣に居た明彦は、あおいの表情をじっと窺っている。何を言うでもなく、ただ真剣なまなざしで。
「ふーん。じゃあおいちゃんさえよかったらこれからオレたちとさ」
「何処だ?」
 明彦が陽崎の言葉をさえぎった。え? と振り向く陽崎の体を押しのけ、明彦がずいとあおいの向かいに立った。あおいは、何が起こったのかわからなかった。明彦は今何を言った? 「何処だ?」とはどういうことだ?
「聞こえなかったのか。一緒に居た奴は何処にいるんだと聞いているんだ」
「え、えと、向こうの路地裏。コンビニの角曲がった所」
 明彦が何を言わんとしているのかはわからない。しかし、あおいはそう返事をするしかなかった。
「ふん。誰だ、桐島か? 都川か?」
「ううん。足立君」
「足立? 誰だそいつは」
「一文字君が恋恋高校に来たとき喋ってた子だよ」
「ああ――あいつか」
 明彦は素っ気無くそう言うと、あおいの横を通り過ぎた。その時、明彦はぽん、とあおいの頭に手を置いた。
「お前はこの辺りにいろ」
 そう言うと明彦はちらと陽崎を見ると、ためらいもなく走り出した。
「ちょ、おい! 明彦!」
 取り残された陽崎も明彦に釣られるように後を追いかける。あおいは二人の後姿を見ながら、ぺたりと座り込んだ。横断歩道の近くのガードレールに手をかけ、呆然としたまま。
 まだ、胸の動悸は治まらない。

 

 

「おい、明彦。どういうことだよ」
「何が」
 走りながら二人が会話をしている。
「お前の会話意味わかんねーよ」
「気づかなかったのか」
「え?」
「早川の頬に、平手打ちのような跡があった」
「へっ?」
「友達と喧嘩別れでもしたのか? いや、違う。そんな場合、早川は関係をこじらせたまま終わらせたりしない。是が非でも話し合うだろう」
「あ、おう。じゃなんだってんだよ」
「決まっているだろ。知らない奴に殴られたんだ」
「えー? どういうこった、そりゃ」
「いわゆる不良の類だろうな」
「あ、だから“何処だ”って聞いたのか。……あれ? でもなんであおいちゃんにツレがいることがわかったんだ?」
「ちょっとは考えろ。早川とお前が会ったとき、あいつはどういう表情を浮かべていた?」
「どういうって……どうだったかな?」
「一言で言えば、“焦燥”」
「ショーソー?」
「若しくは後ろめたさから来る不安だな。とにかく怯えたような態度だったろう」
「あぁ……言われてみれば」
「一人で逃げてきたのなら、偶然人見知りと会えた瞬間、きっと安堵の表情を浮かべる。しかしあおいは焦燥感を感じていたということは……誰かを置いてきてしまったからなんだ」
「ふうん。でもなんでいきなり桐島の名前出したんだ? あおいちゃんなら女友達って線もあるんじゃね?」
「それこそあいつの性格だな。多分早川は、女友達を置いて逃げたりはしないだろう。どちらかといえば、自分が引き付けて逃がすタイプだ」
「そんなもんかねえ」
「とにかく恋恋高校野球部の生徒がそんな目に遭ってるのなら見逃せないだろう……と、ここだな」

 

 

 明彦たちが路地裏に入っていった。奥の方まで見えはしないが、何が行われているかは大体予想が付く。進むにつれて幾人かの人影も見えてきた。あかつき高校の制服……よりにもよって面倒な奴に絡まれたもんだ。明彦は陽崎を路地の入り口辺りに立たせると、一人で奥へと向かって歩き出した。やがて、見覚えのある顔が凄惨な状況に立たされていることがわかった。

 

「おら、立てこの野郎ぁ!」
 また、腹に鈍痛が響く。このまま思い切り嘔吐したい気分だった。しかし、そんなことをすれば更に状況は悪くなるに決まっている。あおいを逃がしてからどれくらいの時間が経過したのだろう。五分だろうか。十分だろうか。それでも彼らの暴力は留まることを知らなかった。
 ふと、一瞬嵐のような蹴りが止んだことに気づいた。半分閉じかけている瞳で様子を窺うと、そこに男が一人増えていることに気づいた。そして、彼が自分が見知っている顔であるということも。
 長い黒髪に細い体系。少し低めの身長だが、それを感じさせない堂々とした振る舞い。彼は紛れもなく、聖皇学園の一文字明彦であった。
 明彦はあかつき高校の生徒など目に入っていないかのように素通りをすると、足立の傍にひざを折って座り込んだ。
「足立。大丈夫か」
「う……一文字くん? どうしてここに?」
「早川と偶然会った。それで、体はどうだ。どこが痛む」
「えと、背中と腹と……わかんないな。とにかく全身だ」
「そうか。ちょっと待っていろ。すぐに済む」
 そういい終わると明彦は立ち上がった。周りを囲む五人の男からは威圧などまったく感じていないようである。
「お前そいつのツレか? なんのつもりだよ、オイ」
 明彦を挑発したのは見張りの男であった。おそらく一番下っ端なのだろう。先ほども日ごろの鬱憤を晴らすかのように我先にと足立を蹴りにかかっていた。
 明彦は返事をする前にふう、とため息をついた。男は明彦がどういう反応に出るのか窺っていたが、それはなんの意味もなさない行為であった。明彦は男の足元にす、と目線を落とすと、なんの躊躇もなく間合いを詰めた。そして次の瞬間、男のつま先を思い切り踏みつけた。
「痛っ!」
 男が悲鳴を上げるのを無視して、明彦は片手で男の胸の辺りを手のひらでどん、と突いた。すると、男はいとも簡単に後ろへと倒れこんだ。当たり前だ。足が固定されていたのだから。男は地面に思い切り後頭部をぶつけたようで、立ち上がれないままだった。明彦は何事もなかったかのように顔を振り、足立の方へと視線を向ける。服が泥で汚れており、所々無数の足跡がついている。どうやらかなり蹴られたようだな。明彦はそんなことを思っていた。
「てめえっ」
 慌てて他の三人が明彦に向かって突進してきた。一人が大きく振りかぶったフックを繰り出した。明彦はそれを信じられないスピードでかわし、流し目で男を見つめる。その視線のあまりの冷たさに、男はぞっと背筋が寒くなる思いをした。その時、体が異様な動きをするのがわかった。まるで、何か得体の知れない力で引っ張られているような――視界が回転する――。
 どすん、と重い音が回りに響く。明彦は男のフックをかわした瞬間に彼の腕を捕らえた。その時に体を滑り込ませて思い切り背負い投げを食らわしたのだ。自分より20キロは重そうな大柄な男を投げ飛ばした明彦は、彼が起き上がれないダメージを負ったことを確認する。
 続いてくる男の蹴りやパンチを当たり前のようにかわしながら、一人の男に明彦の目線がいった。先ほど足立がリーダー格だろうと思っていた金髪の男である。そしてそれは明彦も同様のことを感じていた。それを証拠にこの男だけ自分に向かってきていない。見に回るのはこの場合リーダーだと判断して差し支えないだろう。明彦は後ろから迫る二人の猛攻を避けると、金髪の男に向かって走り出す。金髪は一瞬顔色を変えたが、すぐさまファイティングポーズをとり明彦を迎え撃とうとする。すると明彦はぶん、と思い切り右脚を振り上げた。
 これは――中段蹴り!
 金髪はまさか蹴りが来るとは予想していなかったのか、一瞬たじろいで見せた。しかし、反応の速さでは負けていない。金髪は反射的に力こぶを作るようなポーズをとり脇腹を防御する――が、それは失敗であった。明彦の脚は金髪の腕にぶつかる寸前で、綺麗に軌跡が変わる。明彦の体を狙ったはずの中段蹴りは、一瞬で上段蹴りへと変化した。明彦の脚が金髪のこめかみに激突する。ごっ、という鈍い音を立て、金髪は目を剥いた。
「かはっ……」
 明彦は振り上げた脚をゆっくり下ろしながら、金髪の動向を見た。膝ががくがくと振るえ、次の瞬間にはどさりと頭から倒れこんだ。気絶したか。明彦は何の感慨もないような目線で金髪を見下ろすと、周りの二人へと目線を移動させた。
 最早二人から戦意は喪失しきっていた。
 一人が路地裏から逃げ出そうと走り出し、あとの一人が慌てて追った。しかし――それは敵わなかった。入り口に立たされていた陽崎が二人を見据え、にこやかに笑っていたからだ。
「オイオイ、逃がさねーぜ、あんた達」
 陽崎はどこから拾ってきたのか、塩ビパイプを構えていた。この構え――素人のものではない。それを証拠に、二人はただ棒を構えている陽崎を見ただけで、抵抗する気力がまるごと削がれてしまった。おそらくこのまま突進したところで袋叩きに遭うだけだ。二人はすっかり観念してしまった。
「かっ、勘弁してくれえ」
 中の一人がうずくまり、情けない声でそう言った。困った表情を浮かべたのは陽崎一人で、明彦はというと相変わらず無機質な表情を保ったままだった。
「だってさ。どーするよ、明彦」
「決まってるだろ」
 そういい終わらないうちに、明彦の膝はうずくまった男の顔面に叩き込まれていた。
「全員平等に殴る」
 膝蹴りを決めた男が意識を失っていないのを確認し、明彦はぐい、と胸倉を掴んだ。
「ま、待ってくれよ! おれ達があんたらに何したってんだよ!」
「何もされちゃいない。お前達がしたのは早川って女子と、そこに転がってる足立だろう」
「し、知り合いかよ。悪かった、勘弁してくれって」
「――俺は別に正義の味方じゃない」
「えぇ?」
「お前たちの所為に腹が立っているから、それを発散しているだけなんだよ」
 今度は、掌底だった。
 明彦の放った掌底は男の顎を綺麗に捉え、いとも簡単に昏倒させた。倒れこんだ男を一瞥した後、明彦はゆっくりと振り向いた。表情に変化はない。怒りなど微塵も感じられないその表情が、余計に恐ろしかった。何の感情もわいていないようなのに、何故この男はこれほどまでに暴力を振るえるのか。
 残った一人は、へたりと地面に座り込んでしまった。もう抵抗する気力など感じられない。
 そんな中、明彦が歩を進め、男と間合いを詰める。その瞬間、男は体を大きくびくつかせ、奥歯からかちかちとした音が鳴っていた。
「うわあああああっ!」
 男は混乱しきっていた。反射的に明彦に突進したが、さらりと身をかわされる。そのまま勢いよく壁に激突し、ふぐ、と呻いた。まだ頭を抱え痛みに耐えている男に、明彦は容赦なく前蹴りを見舞う。明彦の脚は男の背中に鋭く刺さり、男の顔面はまた、強かに壁へとぶつかった。コンクリートの壁が赤く染まり、男の体がずるりと落ちる。男の腰が落ちたのを確認して、明彦は再び前蹴りを放った。明彦の脚は男の後頭部を正確に捉え、顔面を再び打ち付けるはめとなった。その時ぼき、という嫌な音が周りに響く。
「うっへえ」
 後ろで見ていた陽崎の声だった。
「やりすぎじゃねえのか、明彦」
 明彦は陽崎の言葉になんの反応もしなかった。鼻血を出しながら倒れこむ男に対して送る視線も、やっぱり無機質なものである。

 一連の流れを間近で見ていた足立は、何も言葉が出なかった。あかつき高校の生徒達だって、修羅場はくぐっているはずだ。しかも、五人もいたのに。明彦はそんなことお構いなしに挑発し、そして彼らを当たり前のように叩き伏せた。
 信じられない。
 そして足立は、ふっと全身から力が抜けるのを感じた。それと同時に頭が白くなる。ふわふわとした何かに包まれるような気持ち……。
「……大丈夫か、足立?」
 遠のく意識の中で、足立は明彦の優しい声が聞こえた気がした。

 

 

 

 

 

>>#9.意地の理由


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