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曇りのち晴れ
Pawapuro12 Short Story

 

「近寄らないでッ!」
 耳が痛くなるような言葉だ。ぼくがもし今よりもう少しだけナイーブだったのならば、自殺を考えてしまうほどひどい台詞だ。何よりも持っている力すべてでぼくを拒否しているのが哀しい。なぜこうも嫌われなくてはいけないのだろう。女の子に嫌われることに慣れていないわけじゃないけど、ってそんなこと自慢にもなりやしない。
 ぼくは一足踏み込んで彼女に近づいた。彼女は大げさに躯(からだ)を引いて反応して見せた。涙を流しながらぼくを「拒否」する彼女のモーションが、痛い。女の子に罵倒されることは嫌いじゃないけど、本気の拒否は嫌だ。このままで済ましちゃいけない。ぼくはもう一度彼女に近づく。
「また、意地を張るつもりなんですか?」
 ぼくが言う。無言。ちくしょう。
 そもそも何故ぼくがこんな修羅場にいるのかというと、それはぼくの楽観的かつ女好きという最低な性格が災いしてのことだった。

 

 

「乾くん、ちょっと話があるんだけど」
 女の人にそう言われて、いや今日は都合が悪くてなんていう奴はいない。当然のようにぼくはへらへらしながら部屋に入れてしまった。彼女は海野幸子さんといって、ぼくの所属する野球チームのチームメイトである。幸子さんがぼくの部屋に来ることは少なかった。というか、初めてじゃないだろうか。
「乾くん、お見合いする気ない?」
 唐突な質問にぼくは「はぁ?」だとか「ふぁ?」だとか気の抜けた返事をした。幸子さんはぼくは反応を予測していたようで続きを話し始める。
「わたしの友達がね。結婚出来ないでいるのよ」
「しないじゃなくて出来ないですか」
「そう。しないじゃなくて、出来ないでいるの」
「えぇっと」
「なに?」
「それは詳しく聞いて良いんですか」
 幸子さんは目線を少しだけ外して考えるような素振りを見せるとぼくに近づいて「二人だけのナイショよ」と笑って見せた。
「高校のときにね。彼女失恋したのよ」
「よくある話ですよ」
「そうね。でもその大きさがあなたにはわかるかしら?」
「大きさ?」
「えぇ。あれから十年近く経った今でもひきずるその大きさ。あなたに想像がつく?」
 十年前って言ったらぼくなんて小学生だしなぁとぼんやり考える。ぼくが小学生のときはまだガキだから女の子に興味がなかったというわけではないのだけれど、それはやっぱり本当の恋愛じゃないんだろうとぼくは思う。今まで両手両足の数を合わせても全然足りないくらい失恋してきたぼくだけれど、そこまでひきずる大きな恋愛はまだ経験していない。ぼくは少しだけ考え込む。
「ねぇ乾くん」
 はい、とぼくが答える。
「ちょっと会うだけ、会ってくれない?」
「あの、なんで僕なんですか」
 そうね、と幸子さんが言った途端、彼女はぼくに流し目した。人妻に流し目されたのだ。ぼくは不覚だけれど、その、ドキッとした。
「あなたなら、気が合うんじゃないかと思うの」
 それ、答えになってませんよとぼくが言い、幸子さんがその反論をしようと姿勢を傾けたとき、「乾くーん」という大きな声がした。ぼくは姿勢を傾げて首を半分曲げてみる。ドアの前にチームメイトの姿があった。矢部明雄というやつなんだけれど、どうでもいいか。矢部くんはぼくに一緒に練習しようでやんす、と言うとそのままさっさとぼくの部屋を出て行ってしまった。幸子さんはぼくに何を言おうともせず、ただ立ち上がった。それからぼくにまたあの流し目をして見せて、「またこの話するわ」と言った。いったいなにがどうなっているのか、ぼくにはわからなかった。

 

「じゃ、これ彼女の家までの地図だから」
 と小さな地図を渡されて、幸子さんはとっとと練習に戻っていった。どうやらぼくの意思は無視なようだ。以前ぼくが幸子さんにその友達はぼくとまったく面識がないのによく会うのを承知しましたねと聞いたのだけれど、幸子さんは曖昧に笑って返事をくれなかった。それくらい答えてくれてもいいじゃないか。ぼくははぁと大きくため息をつく。

 

 

 地図のとおり歩いていき、彼女の家らしき建物の前に到着したときぼくは呆然とその家を見つめていた。それは、その家(いや、屋敷と言ったほうがいいのかもしれない)がぼくの常識を遥かに常軌しているほど大きかったからだ。まず玄関がでかい。ドアの高さがぼくの身長の五倍はありそうだし、アーチのようなものが頭上を覆っている。幸子さんから彼女は良い所のお嬢様だと聞いていたけれど、これほどまでとは思わなかった。どう考えても、ぼくはこんなところに来ていい人間じゃない。幸子さんからとんでもない依頼を受けてしまったもんだ。ぼくはため息をつく以外することはなかった。
 それでも来てしまったんだからしょうがないしとぼくは玄関のチャイム(だと思う)を押してみた。ピンポーンじゃない。リンゴーンと鳴っている。するとすぐさまドアが開いて中から初老の男性が顔を出した。ぼくは「あの、海野幸子さんの紹介で来たんですけど」といった。いろいろ説明不足だったけれど、それでもその初老の男性はわかってくれたらしい。男性はお嬢様はテラスにいますので、ご案内しますとぼくをその邸宅に連れて入っていく。ぼくが三人横に寝転がれるほどの階段を上った先にこれまたでっかいドアが見えた。男性は「これからはひとりで」とだけ言うと、もと来た道を引き返し始めた。このドアを開けていいのかなと少し迷ったけれど、どうしようもない。ぼくは意を決してドアノブに手をかけた。
 ドアを開いた瞬間、眩しい光がぼくを襲ってきた。ぼくは手で影を作りながら『お嬢様』を探す。いた。彼女は高価そうな椅子に座り、何か本を読んでいる。ぼくに気づいていないのか、彼女は一心不乱に本に読みふけっていた。椅子からは綺麗な金髪の髪の毛がふわふわと漂ってぼくを魅了する。そのうち彼女はぼくに気づいたらしく、ぱたりと本を閉じた。そしてぼくを見るや否や立ち上がり、次の瞬間には両手を口に当てていた。
「……くんッ!」
「は、ぁ?」
 ぼくは驚いて返事にもなっていない返事をした。彼女は両手で口を抑えたまま、まばたきもせずにぼくの顔をじっと見ていた。ぼくは一体どうすればいいのかわからなく、同じように彼女を見つめていた。
「あの、海野幸子さんに言われて今日お邪魔させていただいたんですけど」
「来ないでッ!」
 彼女は右手をあげると後ずさりした。意味がわからない。
「お願い、それ以上近寄らないで」
「あの、どういうことですか」
「嫌……ッ」
 彼女は顔を振り、沈痛そうに顔を床に向けた。いったい僕の何が彼女をそこまでさせているのか、わからなかった。混乱しきった頭でぼくは幸子さんを恨んだ。どういうことなんだ、これは。彼女の名前は倉橋彩乃(くらはし あやの)さんだと聞いている。幸子さんの高校の同級生で、大きな失恋をしたお嬢様。ぼくが彼女に持っている知識はそんなところだ。何故今彼女がぼくを拒否しているのか、その理由がわからない。
「こんなの、ひどい。残酷だわ」
 彩乃さんは眉間に皺を作りおぼろな目でぼくを見つめる。やがて彩乃さんは顔を上げて、ぼくを見つめた。
「乾さん……よね?」
 呼ばれた。返事をしなくては。
「はい」
「これ以上、来ないで」
「どういう、ことですか」
「わたしに近寄らないで。あなたは……」
「僕が、なんなんですか」
「――似てる」
「は?」
 ぼくの素っ頓狂な反応に彩乃さんの返事は少し遅れた。
「そっくりなのよ。あなたと」
「僕と――」
 そこまで言ったとき、彩乃さんが言っている意味がわかった。幸子さんが言っていたじゃないか。彼女は昔大きな失恋をしたと。もしかしたら、ぼくはその彩乃さんを『拒否』した男の人と似ているのではないのだろうか。彩乃さんのことはいろいろ聞いていた。けれど、こんな大事なことは聞いていない。ぼくが彼女を拒否した男の人と似ているなんて――幸子さん、貴女はなんて残酷なことを――。
「わかったでしょう。あなたを見たくはないわ。早くわたしの前からいなくなって」
 ぼくは少し黙り込んだ。今帰ることは簡単だ。だけど、ぼくにはここにいなくてはいけない『理由』があった。それに、彼女に言わないといけないことも――。
「そして、生涯自分の心の中だけで生きていくんですか」
 ぼくの言葉に、彩乃さんは顔を上げた。ぼくは気にせずに続ける。
「人を好きになるのは、素敵なことです。だけれどそれが原因でひどく傷つくこともあるのが人間です。彩乃さん、あなたのように」
 返事はない。まだぼくは続ける。
「でも、それから立ち上がるのもまた人間です。じっと昔のことばかり思って、傷を見ない振りをして生きているのは、弱い人間です。彩乃さん、僕は、あなたには立ち上がって欲しいんです」
「嫌……ッ」
 彩乃さんが小さく呟いた。ぼくは今、もしかしたらとても残酷なことをしているのかもしれない。けれど、やめるわけにはいかない。彩乃さんのためにも。
「お願いです。心の中に閉じこもらないで下さい」
「もうやめてッ!」
 彼女が叫んだ。ぼくの心にその『拒否』の言葉がひどく突き刺さる。ぼくは歩み始めた。彩乃さんはぼくが一歩近づくたびに一歩下がっていく。
「近寄らないでッ!」
「彩乃さん」
 ぼくが少し言葉を強めに言う。
「また、意地を張るつもりなんですか?」

 

 幸子さんが言っていた。
「彩乃はね。意地っ張りだったのよ。本当に好きだったのに、心のどこかでそれを認めていなかった」
 ぼくはえぇ、と事務的な返事をする。
「だから、失敗したんでしょうね」
 幸子さんはそう言って、苦笑にも似た表情を見せる。
「あの子、あなたのことを好きなのよ。でも、それも認めようとしないんじゃないかしら」
 そう言うと、幸子さんはぼくに地図を渡したのだった。
「じゃ、これ彼女の家までの地図だから」

 

「――なんのことよッ」
「僕が幸子さんから何も聞いてないと思いましたか?」
「だから、なんのことだと聞いているのよ!」
 ぼくは上着のポケットに手を入れて、そこからひとつのボールを掴んで出した。それを見た瞬間、彩乃さんは顔を赤くした。
「アベックス特注ボール。僕も見たことが無いほどの高級品です。幸子さんからもらったものなんですけれどね」
 ぼくはボールから目を離し、彩乃さんに目を向ける。彼女はいっそう顔を赤くさせてうつむいた。
「あなたですよね。これを僕にくれたのは」
 彩乃さんはもう返事が出来ないほど赤面していた。
 これはさっき、本当につい先ほど幸子さんから聞いたことだった。彼女、あなたのことが好きなのよ。そう聞いたとき、ぼくはようやく幸子さんの本意が掴めた気がした。まぁ勝手にぼくのことを紹介したのは正直憤りはあったけれど、仕方ない。
 それより気になったのは、最初彩乃さんがぼくを拒否する仕草を見せたことだった。初めのうちはぼくのことを嫌がっているのだと思った。彩乃さんを過去拒否した男に似ているぼくを見たくないのだと思った。だけれど、それは違っていたんだろう。彼女は、ぼくを想う気持ちを認めたくなかった。言い方は悪いけれど、ぼくみたいなのを好きになるなんて認められなかったんだと思う。
「嘘だったんですね。最初会ったとき、僕と初対面のような反応をしたのは」
 彩乃さんは何も言わない。
「まぁでもこのボールを頂いたことは事実ですから――どうも、ありがとうございました」
 彩乃さんは赤い顔を上げてぼくを見た。ぼくは下げた頭をゆっくり上げる。するとまた彩乃さんが赤面してうつむいた。
「ほかにグローブやレンタル会員証など、ずいぶんお世話になりましたね」
 彼女は返事をしなかった。ぼくは、最後の賭けに出ることにした。
「でも、いけませんよね。彩乃さんは僕らと無関係ですし、残念ですけど、今後こういったものを受け取るわけにはいきません」
 彩乃さんが顔を上げた。それでもぼくの顔を覗き込むように見つめるだけで、何も言わなかった。ぼくは一礼した。
「では、今日はこれで。幸子さんとの約束では『会うだけ会う』ということでしたし、これ以上居座るのもご迷惑でしょう。では、失礼します」
 ぼくが振り向いた途端、彩乃さんは「待って」と声をかけてきた。ぼくはゆっくりと振り向く。彩乃さんはぼくを心配そうな目で見つめ、右手を胸に宛がいながら言葉を選んでいる。
「なんですか?」
 彩乃さんはぼくに近づき、右手をゆっくりと開いていき――。
 パァン、という高い音が響いたと思ったら、ぼくの頭の中でガーンと鐘の音が鳴り響いた。頬が熱い。平手打ちをされたんだ。ぼくが驚いて彩乃さんを見たら、彼女はぼくの胸を抱いていた。
「また、私を独りにするの?」
「彩乃さん」
「立ち上がって欲しいなんて言っておいて、また私を置いていくのね」
「彩乃さん、僕は」
「優しい言葉をかけて、あなたも私から去っていくの!?」
 彩乃さんは大きな声でぼくに抗議した。今度はぼくが何も言えなくなる番だった。ぼくは彩乃さんの身体を抱いて、言う。
「独りになんて、しません。絶対させませんよ」
 ぼくが言ったとき、彩乃さんの目から涙がこぼれた。
「お願い。もう私を一人ぼっちにしないで――」
「はい。迎えに来るのが遅れて、すみませんでした」
 ぼくが言ったとき、彩乃さんは顔を上げた。涙でくしゃくしゃになっていたけれど、笑顔だけは綺麗に光っていた。
「やっと、笑顔を見せてくれましたね」
 ぼくが言うと、彩乃さんはとびきりの笑顔で答えをくれた。
「意地を張らないで、言いたいことを言って……よかった」
 そう言った彩乃さんがとても愛しい女性に見えた。いや、きっと実際にそうなんだろうな。ぼくは、彩乃さんの身体をもう一度強く抱きしめた。

 

 それから一ヶ月。練習には機材とか道具とかがやたらと整っている以外特に変わらない日常をぼくは送っていた。ただときおり見せる幸子さんのVサインを、ぼくは見ない振りをする。

 

 

Fin



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