せつなさよりも遠くへ
Pawapuro12 Short Story

 

 ずっと強い女を演じていた。わたしはずっと強い女になりたかった。その反動が現在の性格を確立するにあたったのだろう。
 独りが嫌いで、恐ろしかった。いつも誰かに守っていて欲しい。そんな甘えた自分が嫌いで、嫌いで、いっそこの世から消えてしまいたいと思ったことも多々あった。それでもこんな我侭(わがまま)な自分を、あの人は守ってくれた。「大丈夫だよ」と言って、優しく包んでくれた。そして今。わたしはあの人にずっと想い続けていた感謝の気持ちも言えないまま、変わろうとしている。今までずっと演じてきた、強い女に。

 

 男尊女卑に過敏といえるほど反応し、ジェンダーフリーだとかの言葉が叫ばれる昨今、野球というスポーツに女性選手がプロ入りした。彼女の名前は早川あおいと言った。周りが変化しても自分の意志を貫き通した彼女に、わたしは嫉妬にも似た感情を抱いていた。それもこれも原因はやはり「弱い自分」があったのかもしれない。そんなことに気づいて、わたしは一人唇を噛み締める。悔しくて、悲しくて、厭で。やっぱり、わたしは独りだったんだ。

 

「みずきちゃん、神童センセに挨拶しないの?」
「バカじゃないの。ガキじゃあるまいし」
 わたしはにこやかな笑みを携えている彼、乾真人(いぬい まさと)に向かって嘲笑の言葉を吐いた。相変わらず彼はダメージを受けた様子も無く「まいったなぁ」というジェスチャーで頭を抱えている。ちゃらんぽらんで、楽観的で、快楽主義者の彼を、わたしは苦手としていた。責任感が強くて、悲観的で、ストイシズムなわたしは彼の生き方というやつがわからなかった。けれど、今になってようやくわかったような気がする。彼は、「強い人」だった。なんでもいいかげんなのに、わたしの目指すべきものを持っている。そんな風に見たこともなかったけれど、彼はわたしが考えている「強い人間」の理想像なんだろう。多分。
「いやぁ、それでもさぁ。やっぱり挨拶ってのは大事だよ。僕が中学に行ってたころ校門に書いてあったからね。『挨拶は、心をつなぐ、メッセージ』。あ、今の五七五なんだけど」
「どうでもいいでしょ、そんなこと」
「どうでもいいってことはないでしょう。人間挨拶を忘れちゃおしまいだぜ。あと女の子は愛想もね」
「悪かったわね。愛想のない女で」
「あ、そう聞こえた?」
「乾くんはそういうつもりで言ったんでしょ」
「ウン!」
 とびきりの笑顔を見せる彼に、わたしはグーパンチをお見舞いする。いってぇ、と笑いながら言う彼を見て、わたしはまた焦燥を感じ始めた。なんでこんなだらしのない男が、わたしの目標にならなきゃいけないのだろう。そして彼に依存しなければ生きていけない自分が厭だった。
 乾真人という男は、野球に関してだけは超一流だった。わたし以外のチームメイトには愛想もいいし、実力もあった。今わたしが所属しているパワフル野球アカデミーという専門学校では入部二ヶ月だというのにすでに正捕手を務めている。ピッチャーをやっている以上、わたしは彼の存在が必要不可欠だった。つまりはこの人格破綻者がわたしの生命線だということになる。実力がある以上文句は言えないのだけれど、なにかもやもやとした気持ちの悪いものがわたしを襲っていた。

 

* * *

 

 寮で休んでいるところに、いきなりチャイムが鳴った。わたしはタンクトップ一枚でズボンも穿いていないような格好だったので、慌てて床に落ちていた上着とジャージを掴んで身体に装着する。少しだけ乱れている髪の毛はもういいやと放っておいて玄関まで歩いていった。ノブを掴んでドアを開くと、そこには朗らかな表情をした男が立っていた。一見すると『爽やか』という単語が良く似合うようにも見えるけれど、彼の奥底には想像もつかないほど『黒』の空気が渦巻いているのをわたしは知っている。
「やぁ。おはようみずきチャン」
 彼、乾くんは右手を上げてわたしに挨拶した。わたしは「うん」と簡単に返事すると、早々と本題に入ろうと努力した。
「で、どうしたの。何か用事?」
「へぇ。みずきちゃん結構部屋乱雑なんだねぇ。女の子だからもっとサッパリしているもんだと思っていたよ」
「ちょ、乾くん! だから、今日はどうして来たわけ?」
「でもでもやっぱりそういう先入観は捨てるべきだと僕は思うんだよね。ほら、僕って基本的に民主的だから。老若男女差別しちゃいけないよ」
「……暑さに脳がやられて日本語を聞き取れなくなっちゃったわけ?」
「あれ。聞き取れてなかったかな。あ、もしかして僕って宇宙人だったりして」
「だから、どうしてそういう結論に達するのかな……」
 自慢じゃないけれど、わたしは人を操るのが上手い方だとは思う。実際パシリみたいなのは何人かキープしているし、言葉は悪いけれど『舎弟』みたいなのもいないことはない。だけれど、この乾真人という人間だけには敵わない。どんどん彼に主導権(ペース)を握られていく。頭のいい悪人というのは本当にタチが悪いと、わたしは思う。
「いやさぁ。ちょっと気になることがあって来たんだけどね」
 そう言って彼はわたしの部屋にあがってきた。彼は丁度わたしが怒り出す直前でからかいの言葉を収めるのが得意だった。わたしは振り上げた拳をいつも下ろせない。
「ほら、前にあったじゃん。神童センセに挨拶しなかったこと」
「それが、なに」
「いやぁ、なにってわけでもないんだけどさぁ。なんかこう、ビビッと来たんだよね。ちょうどみずきちゃんと始めて会ったときみたいに」
 彼の吐いた冗談をわたしは無視して、話の続きを望んだ。
「なにか、あるんでしょ」
「なにかって、なに」
「どうでもいいけどみずきちゃんさっきから『なに』ってよく言うよね。いやぁ、なんか恥ずかしいなぁ。ハハハ」
 彼は笑って頭を掻いた。わたしははぁとため息をついて、なんでこんな男と今自分は話をしているんだろうと根本的な問題を考え始めた。そんなわたしに気づいてか気づかずか、彼は話を続け始めた。
「例えばさぁ。なんか神童センセに恨みでもあるとかさ」
 わたしは自分の心臓が反応するのがわかった。乾くんは相変わらず微笑を携えているけれど、眼光は鋭かった。間違いない。今、彼はわたしの反応に気づいた。
「ふーん。やっぱり、そうなの」
「あんたには関係ないでしょ」
「心外だな。僕はみずきちゃんの未来の旦那なんだぜ。あ、今は逆か。僕が捕手だから女房だもんね。でも僕はバイセクシャルじゃないし女房になるのは嫌だからどっちかっていうと未来に期待してほしいなぁ」
 よくもまぁ、ここまでべらべらといろんな台詞が思いつくなぁとわたしは呆れていた。もちろん、そんなわたしを見て彼が何か思うわけもなく、妄想の世界に入り浸っているだけだった。
「なんで、乾くんはそんなに私に纏わりつくわけ?」
「んー? そんなの決まってるじゃないか。僕はキミを愛しているんだぜ」
「はぁ……。乾くん。あんたなら私じゃなくても簡単に女の子くらい見つかるでしょ」
「いやぁ。愛ってのはそんな簡単じゃないことだと思うんだよね。あ、これなんかの台詞であったやつなんだけど、どう? 感動した?」
「しない」
「あ、そう」
 わたしはもう呆れを通り越して虚無感しか感じていなかった。やっぱり、こんな男はわたしの目指すべきものとは違っているんじゃないか。そう、思って。
「でもさ。ほかにもあるんだよ。僕がみずきちゃんだけに付きまとってる理由」
「へぇ。なんだっていうの?」
「みずきちゃんさ、いつも独りじゃないか」
 わたしは、返事が出来なかった。彼の表情からいつの間にか笑みが消えていることに気づいて、わたしもいつの間にか虚無から抜け出していた。
「なに、それ。意味がわからない」
「わかってるだろ」
「わからない」
「本当にそうなのか」
「本当にそう」
「じゃあ、いいのかよ」
 彼はわたしの目を見つめながら言った。鋭い目だった。見たことも無い表情。これが、彼の『地』なんだろうか。わたしは彼の怖い顔を見て、少しだけたじろいだ。
「おれがいなくても、もう平気なんだな」
 わたしが何も言わないので、彼はさらに続けた。
「みずきちゃんは強いから、おれがいなくても大丈夫なんだな?」
 彼の言うことが、わたしの胸に鋭く突き刺さる。気づけばわたしは、泣いていた。
「なんで泣くんだよ」
「うるさい」
「僕のせいだな」
「うるさい」
「じゃあ泣きやめよ」
「いや」
「なんだそれ。じゃあ、どうすればいいんだよ」
「あんたなんか嫌いよ」
「嫌われたのなら仕方ないな」
 彼がわたしをじっと見つめる。
 知っているくせに。わたしのことを、みんな知ってるくせに。どうして知らないふりをするのよ。
「莫迦」
「よく言われるよ」
「自覚しなさいよ」
「やだよ。これ以上ばかになったら困るんだ」
「あんたはそれ以上ばかにはならないわよ」
「ひどい侮辱だ」
「当然でしょ」
 彼がポケットからハンカチを取り出した。水色のチェック柄。
「顔、拭けよ」
「いらない」
「いいから拭けって。今のお前、すっごいぶさいくだぜ」
「放っといてよ」
「放っとけないよ」
「なんでよ」
「放っとけないから今日来たんじゃないか」
 わたしは顔を挙げた。そのとき、彼は吃驚したような表情を浮かべた。彼を見ながら涙を流すわたしを見て、彼は何を思ったのだろうか。わたしは彼からハンカチを受け取って、涙を拭いた。そのときになって、ようやく彼の表情に笑みが戻っていた。
「ちょっとは落ち着いた?」
「うん」
「じゃ、ハンカチ返して」
「うん」
「えーっと」
「なに?」
「まぁ、今日はいいか」
 彼は立ち上がって、ハンカチを広げて折り曲げる。
「これ、金庫に仕舞わなきゃな。みずきちゃんに使ってもらったんだし」
「またバカって言われたいの?」
「まさか」
 彼は笑ってハンカチをズボンのポケットに入れた。玄関に向かって歩きながら、彼は手を挙げて「じゃあね」と言う。わたしが返事をしようとしたら、その前に彼が口を開いた。
「そうそう。今日の答え、いつか聞かせてよね」
「今日の答え?」
「さっき言ったでしょ。『みずきちゃんは、おれがいなくても平気なのか』って」
 わたしは黙り込んだ。彼はそれから何もいわずドアノブに手をかけた。わたしは立ち上がって、彼の肩に手を置いた。そして振り向く彼の顔に近づいて――。

 

「返事は――――」

 

 

..........."and,with you?"



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