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天国と地獄へのエレベーター
Pawapuro13 Short Story

 

 それはもしかしたら嫉妬だったのかもしれない。
 私は自分で思うほど、そして周りに思われているほどどうやら感情の起伏に乏しくないようだ。
 私はアンダーシャツの首を引っ張り、乱暴に汗で濡れた頬を拭いた。その後、更衣室に誰も居ないのを確認したあと小さくちっと舌打ちした。ストレス。そんなものを少し感じているな、と思いながら。

 

「乾くん、あーん」
「あーん」
 小さなお弁当から惣菜を取り出して、女はそれを男に食べさせていた。目の前で繰り広げられる甘い空間に私は呆れながら、それでもその同行から目を離すことが出来なかった。 
 女はみずき、男は乾真人という。
 なにやら家庭の事情で、二人は付き合ってもいないのに婚約者のフリをしている。詳しい理由は知らないが、どうやらみずきの方が半ば強引に乾先輩を彼氏役に仕立てあげたそうだ。
 校舎の傍で杖をついて立っている老人が、ゆっくりと体の向きを変えて姿を消した。それが、甘い生活の終わりを告げるいつもの合図。
「みずきちゃん、食べさせるくらいなら箸拭かないでよ」
「うるさいなあ。おじいちゃんがいなくなったんだから、これ以上べたべたしなくてもいいでしょ」
「そりゃあ、べたべたはしなくてもいいけどさぁ。もうちょっと思いやりってものを考えてくれないと。いくらなんでもあんまりだよ」
「いーの。ほら、そんなことより乾君もさっさとお昼ご飯食べちゃったら?」
「え? みずきちゃんが食べさせてくれるの?」
「一人で食べるの!」
 見れば見るほどおかしな二人。

 

 

 すっかり日は暮れて、グランドに備え付けられている照明が点り始めた。みずきの「あ、暗くなったから今日は終りね」という一言で今日の練習は唐突に終わりを告げた。私は帰り支度をするために更衣室へと向かう。
 更衣室へと行く途中、私は校舎を見上げ、二階の電気がついていることに気づいた。今の時間なら職員室以外に人はいないはずなのに。おかしいな、と思った私は着替えることも忘れ、校舎の中へと入っていった。
 灯りの正体は図書室だった。私は図書室のドアを開き、中を確認してみた。そこには一人の男子生徒が机を前に座り、何か自主勉強をしているような姿があった。
「あれ? 聖ちゃんじゃないか」
 彼、乾真人はそう言うと立ち上がり、人懐っこい笑みを見せていた。私は返事をせずに彼の傍へ近寄り
「乾先輩、こんな時間まで何をしているんだ」
 と問うた。
「いやあ、最近成績が落ちちゃってさ。ちょっとお勉強を」
「それは感心なことだな」
 せっかく来たのだからこのままとんぼ返りも惜しいと思い、私は本棚から適当な本を選び、それを持って椅子に座る。乾先輩は私が本を読み出したのを確認するとまた席について勉強を始めた。
 しばらく無言のままだったが、不意に乾先輩が口を開いた。
「みずきちゃんさ、本当のところ僕のことをどう思ってるんだろうね」
 私は本を開いたまま乾先輩に目を合わし、
「どう、とは?」
 と答えた。
「最近さ、理事長の前じゃ婚約者同士みたいに装ってるけど、本当のみずきちゃんはどうなのかなって」
 乾先輩はシャープペンを机に置き、ひじを付いて頭を抱えた。
「最初はそりゃあ良い気持ちだったよ。あのみずきちゃんと堂々とカップルを気取れるんだからさ。でも、なんていうのかな、最近ちょっと欲が出ちゃってるんだ」
「そう言う乾先輩はみずきのことをどう思ってるんだ」
 え、と素っ頓狂な表情で返す乾先輩。私は特に返事をせずに彼の答えを待った。
 やがて乾先輩は目線をちらと下に落とし、小さく唇だけで笑みを見せて答えた。
「好きだよ」

 


 

「みずきちゃんには言えないけどね」
 と前置きを置いて、乾先輩は話を続けた。
「僕が本気になってるって思っちゃったら、それが態度に出るもんね。演技をしているときでもさ。そうなったら、みずきちゃんは野球が出来なくなるから」
 乾先輩は両手をズボンのポケットに入れて、顔の角度を少し上に向ける。腕まくりされたカッターシャツから隆起する筋肉がこぼれている。ネクタイをつけずに第二ボタンまで開けているせいか、胸に付けられたネックレスが目立ち、街頭に反射して綺麗に光っていた。
「まぁ、そんなこと言っても仕方ないよね。聖ちゃん、家どっちだっけ? 送るよ」
 私は少しだけ悩み、答えた。
「いや、遠慮する」
 すると乾先輩は驚いたように目を開き、その直後首を物凄い速度で左右に振った。
「ダメダメ、駄目だよ。こんな暗いのに、女の子を一人で帰すわけにはいかないさ」
「私なら大丈夫だ」
「でも僕がついていればもっと大丈夫だよ」
 相変わらずだな、と私は心の中で少し苦笑する。
 乾先輩はいつでも女に気を遣って生きている。何もそんなに越を低くすることもないだろうに。
「私の家はここから遠いんだ。乾先輩に悪い」
「それ、本当の理由?」
 え、と私が返す。
「何か違う理由があるのなら、遠慮するけど」
 私は、暫くのあいだ微笑を浮かべた乾先輩の横顔をじっと窺がっていた。
 乾先輩は、私の本心がわかっていた。私のこぼしたありきたりな断り文句が本当の理由ではないと。

 私は、みずきが好きな乾先輩に送って欲しくなかったのだ。

 何も言わない私を見て、乾先輩は困ったように頭をかくと、腰を屈めて私の目線に合わせた。目の前に乾先輩の顔が迫り、私は少しだけ身をたじろがせる。
「じゃ、気をつけてね。出来るだけ明るくて、人通りの多い所を通って帰るんだよ」
 そう言うと乾先輩はくるりと身を翻し、片手を挙げて去っていった。悠々と夜の闇に消えていく乾先輩を、私は何故かいつまでも見つめていた。

 

 

 いつものようにベンチに寝転がる乾先輩を尻目に、私はみずきに向かってスローイングした。最近はみずきの相手ばかりしていて、乾先輩と練習をした記憶がない。乾先輩も投げ込みくらいはしているのだけれど、彼の球を受けたのはもうずいぶん前のような気がする。かといって他の捕手を相手にしているのかと言われればそうでもなく、最近の乾先輩はただ黙々と一人で投げ込みを続けているだけだった。

 

「そろそろ変わる? 乾君」
 またいつものようにみずきが言う。けれど乾先輩は寝転んだまま手をひらひらさせて拒絶の合図を取った。これもまたやっぱりいつものことなので、みずきも特に気にすることなくまた投球練習を続けた。
 私はなんとなく乾先輩の方を見ながらみずきの球を受け続ける。いったいあの人はどういうつもりなのだろうか? 私は乾先輩に嫌われるようなことをした覚えがないけれど――。
 バギ、という鈍い音の後、ボールがフェンスに当たって振動する音が聞こえた。私は左腕の側面辺りに手を当て、うずくまった。青ざめたみずきが走りよってくる。
「聖、大丈夫?」
 私は腕を押さえながら顔を上げる。キャッチャーマスクをしていて助かった。表情を悟られずに済む。
「平気だ。少し腕に当たったが」
「どこか悪いんじゃないの? いつもの聖なら受けられない球じゃなかったはずだけど」
 私はもう一度大丈夫だ、と答えて顔を上げる。
 ――みずきの隣に、乾先輩がいた。
 乾先輩は私の腕を取り、ふん、と小さく息をつく。
「青くなってるな。一応、保健室に行っておこうか」
 私は慌てて手を引っ込め、
「大丈夫。まだ続けられる」
 と答えた。けれど乾先輩は私を無視し、引きずるように保健室へと向かっていった。グラウンドから直接入れる多目的ホールを抜け、階段の傍まで歩くと渡り廊下がある。そこをわたれば保健室はすぐそこだった。乾先輩は保健室のドアをこんこんこん、と三度ノックした。いつもなら聞こえてくる返事がない。乾先輩はもう一度ノックしたが、やっぱり反応は無い。乾先輩が私の方をちらと見るが、すぐドアの取っ手に手をかけて開いた。鍵はかかっていなかった。乾先輩は私にベッドで横になるよう促すと、冷蔵庫から氷嚢を取り出して氷を詰め込み始める。
 乾先輩は氷嚢を私の隣に置くと、私の腕を取って患部を見た。さっきは気づかなかったけれど、改めて見るとなるほど確かに青痣が出来ている。
「ちょっと痺れるよ」
 と前置きを置いて、氷を私の腕へとつけた。一瞬電流のようなものが体中を駆け巡るが、その後は落ち着いてきた。私ははぁ、とため息をついて乾先輩の顔を見る。
「乾先輩。手間をかけさせて申し訳ない」
 というと、乾先輩はいつもの笑顔で返事をした。
「気にすることじゃないよ。怪我は一番の敵だからね」
 そう言うと乾先輩はもう一度冷蔵庫をあけ、氷嚢を幾つか取り出した。
「20分くらい安静にしてるんだよ。それから痺れて感覚がなくなったころいったん氷嚢を放してね。凍傷になっちゃうから」
 乾先輩は私の前まで来て、にっこりと笑った。
「大丈夫だよ。すぐによくなるさ」
 その言葉に、私の心意は決まってしまった。
 私は乾先輩の袖をつかみ、顔を伏せる。恐らく、乾先輩は今頃キョトンとした表情で私を見ていることだろう。
「なんだい? 聖ちゃん」
「乾先輩、一度しか言わないぞ」
 私は顔を上げて、言った。
「私は、乾先輩が好きだ」

 

 

 

 

 ひょっとして、私はとんでもないことをしてしまったんじゃないだろうか。
 一度乗った列車には途中下車は出来ない。
 行き先は天国か、地獄か。
 それでも、
 困ったように慌てる乾先輩。
 これほど乾先輩が驚いた表情は、今まで見たことがなかった。

 そんな乾先輩の顔を見て、私は何故か自然と笑っていた。

 

 

 


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