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3月の雪
Pawapoke3 Short Story

 

 彼の居るこの場所には誰も来ない。
 昔からの悪友も。付き合っていた彼女も。家族でさえ。
 花を添えるのはいつも私だけ。
 きっとみんないまだに信じられないんだろう。
 いつかは彼が戻ってくる。そんな気分がしているのかも。
 私だってそう。

 

 ねえ、どうして?

 

 

3月の雪

 

 

 休日の駅前は騒がしい。交差点に隙間も無いほど集る人の数に揉まれながら、汐瀬龍之介(しおせ りゅうのすけ)は歩いていた。目の前に迫った商業施設に目をやり、ほ、とため息をつく。ショッピングモールやレストラン。ゲームコーナーに映画館、はたまた観覧車までが設置されたその施設は、この近辺に住む若者にとってなくてはならない施設となっていた。龍之介は今日、ここで待ち合わせをしている。
 つい先日街で声をかけた女の子なのだが、来ているかどうかは甚だ疑問だった。今は指定した待ち合わせ時間よりも少し早めだし、なにより『ナンパ』した女の子のドタキャン率の高さは龍之介自身が誰よりも知っていた。
 龍之介は施設の前の灰皿近くに歩み寄り、壁へもたれかかるとポケットから煙草を取り出した。そこから一本取り出して火をつけると、大きく吸って煙を吐いた。龍之介にとって久しぶりの休日だ。もし彼女が来なかったとしても、それなりに充実した時間を過ごしたい。そんなことを思いながら。
 龍之介は火星オクトパスという球団に所属していた。幼い頃から野球をしていた彼にとって、もはや野球は自分と切っては切れない関係となっていた。プロ野球からは声が掛からなかったが、これも悪い生活じゃない。もっとも、休みが少しばかり少なすぎるのが欠点だが。
「あの、すいません」
 短くなった煙草を灰皿に投げ込んだとき、自分に対して声をかけている者の存在に気が付いた。龍之介は振り向くと、そこには一人の女が立っていた。自分より30センチは小さい身長。赤い髪の毛は左右で跳ね、手にはなにやら紙が握られていた。
「よろしければアンケートにご協力願いたいんですが」
 いつもなら無視するところだった。だが時間も余っているし、携帯に連絡も無い。どうせこのままドタキャンされるのだろうと龍之介は早々に決め込んだ。理由は簡単だった。その女性が、龍之介の好みだったからだ。
「うん。いいよ。君、何歳?」
 龍之介の前後不覚な質問に女性は驚いた様子だった。当り前だ。質問をする側は自分なのだ。協力してもらった相手にいきなり質問を返されたのは恐らく初めてだろう。
「ええっと、22ですけど」
「そうなんだ。若く見えるね。何処に住んでるの?」
 すると女性は小さく嬌笑を浮かべて見せた。龍之介は首を傾げて彼女を見つめる。
「どうしたの?」
「いいえ。まさか調査員をナンパする人がいるとは思わなかったから」
「俺は知りたい事があると我慢出来ないんだ」
「そうなんですか。でも住んでる所はナイショです」
「ちぇっ。あ、でもアンケートには答えるよ。その代わりその敬語やめてくれないかなあ」
「いいんですか?」
「もちろんだとも」
「じゃあ普通に話させてもらうわ。それでここなんだけど」
 と言いながら女は持っていた紙を龍之介へと向けた。龍之介はそれを覗き込むようにして見つめる。
「ここに名前を書いてもらうだけでいいの。簡単でしょ?」
「へえ。なんで名前なんか書くんだ?」
「言ってみれば署名みたいなものね。責任とかはないから安心して」
「ふうん」
 龍之介は女性からペンを受け取り、それに走り書きで名前を書いた。女性は用紙を受け取り、龍之介の名前を見ると、口角を上げて笑みを見せた。その笑みは、何故か龍之介には誰かを小ばかにしたような、そんな印象を持った。
「汐瀬龍之介さん……か。いい名前ね」
「ふふん。当然だ。それで君の名前は?」
「えぇっと……」
 女性は少し迷った仕草を見せたが、やがて決心したように口を開いた。
「四路よ。四路智美(よみち さとみ)。」
 龍之介はへえ、と呟くとすぐさま続けた。
「よみち? 変わった名前だね」
「ええ。数字の四に、道路の路って書くの」
「じゃあ智美ちゃん。仕事いつあがりなの?」
「あら、デートのお誘いかしら?」
「うん。行こうぜ」
「残念ね。今日は一日抜け出せないのよ。また機会があったらね」
 そういうと四路は龍之介に一礼して去っていった。龍之介は断られて残念だな、と思ったが、待たせている女の子から連絡があったら困るから、結局いい結果だったんだと思うようにした。

 

 四路が去った30分後。龍之介の携帯に待たせている女の子から、急におじいちゃんが倒れたと連絡があった。

 

 

 火星オクトパスの監督である垣内がずいぶん怒っていた。というのも、今日龍之介は練習を休み、ナンパをするために一人で街に繰り出していたのだ。昨日は一日に二人もの女の子からふられてしまい、龍之介はすっかりふてくされていた。これでは『関西一のナンパ師』と自称する龍之介の名誉に傷が入る。もっとも、そんなものに傷が入ったところで誰一人困りはしないが。
 それで龍之介は今、昨日と同じく梅田の駅で一人ナンパ相手を探していた。基本的にナンパは二人でするのが鉄則なのだが、今日はどうしても都合がつかず、結局一人で試みる事となったのだ。
「ふん。俺様の手腕ならこの程度のアクシデントじゃ全然鈍りもしないぞ」
 一人の寂しさを紛らわすためなのかそうでないのか、龍之介はそう言うとフィルター近くまで燃えた煙草を灰皿へと投げ込んだ。両手を上に伸ばし、息を吐いてリラックスすると、気合を入れたように、ん、と掛け声を出した。その後周りを見回しながら道路を歩き、遊んでくれそうな女の子を捜していたのだが、とん、と肩を叩かれたので龍之介は不意に振り向いた。
「偶然ね。今日もここにいたの?」
 声の主は智美だった。昨日と同じく私服姿だったが、あのよくわからないアンケート用紙は持っていなかった。
「やあ、智美ちゃん」
「智美でいいわよ。それで龍之介くん。何してたの?」
「何って、ええっと……」
 龍之介はすこし考えてから言った。
「見たい映画があったんだ」
 さすがに『ナンパに来た』というのは忍びなかったようだ。
「一人で見るの?」
「一緒に見る相手がいないんだ」
「そうなの? じゃあよかったら私と一緒に行かない? ほら、昨日断っちゃったから」
 これには龍之介も驚いた。なにせ自分から切り出す前に誘われてしまったのだ。これでは『関西一のナンパ師』の名誉(?)にまたも新たな傷が増えると思ったが、
「もちろん、喜んで」
 ――龍之介は実を取った。

 

 

 映画を見終わり、二人は映画館と同じ建物の中にあるレストランにいた。まだ夕食を取る時間ではなかったが、軽く何かを食べよう、と龍之介が切り出したのだ。事実テーブルの上に並んでいるのはオレンジジュースとブレンドコーヒー、それとサンドイッチだけだった。
 龍之介は両腕を組んで口元に独特の皮肉が混じったような笑みを浮かべながら、智美に話し掛けた。
「それにしても映画の後まで付き合ってくれるとは思わなかったよ」
「あら、どうして?」
「昨日の詫びなら映画を見るだけで十分だろ? なのになんでこんなに付き合ってくれるんだ?」
「龍之介くんと別れたくないからって言ったら?」
「またまた、ご冗談を」
 すると智美は眉をハの字に曲げ、呆れたように返事する。
「……どうしてそう思うのよ」
「それほどの自惚れは持っていないつもりさ」
「私は本気なのに」
 智美は龍之介に向かって流し目気味にそう言った。龍之介はすこしたじろぎ、慌ててテーブルの上の煙草に手を伸ばした。龍之介は女の子を口説いたり、攻めたりするのは得意なのだが、攻められるのは苦手だった。火のついた煙草を灰皿に置き、龍之介はあたかもたった今思いついたような風に話題を変える。
「そうだ。聞きたかったんだけど、最初に書いたアンケート。あれ、なんなんだ?」
「あ、そんなこともあったわね」
「はあ?」
 智美は口元に手を当てて、じっとテーブルの上を見つめだした。それがあまりに真剣な表情だったので、龍之介は何も言うことが出来なかった。
「そうね。ずっと隠してるのも嫌だから、言うわね」
「う、うん」
「あれ、嘘なの」
「はあ?」
「アンケートとか、全部嘘なのよ」
「ど、どういうことだよ」
「……ねえ、龍之介くん。怒らないで聞いてくれる?」
「あぁ」
「龍之介くんって、似てるのよ」
「似てるって、何に?」
「私の、前の彼氏」
 龍之介は呆然として智美を見詰めた。智美は龍之介の視線を避けるように足元へと目をやると、顔を伏せたまま続けた。
「初めて駅前で会ったときは驚いたわ。見た目も、仕草も、そっくりだった。それで思わず声をかけたんだけど、性格までまるで一緒だった」
「……」
「ずっと彼の事を吹っ切りたかったんだけど、我慢出来なかったのよ」
「そうか、そういうことなんだ」
 龍之介はまだ殆ど吸っていない煙草を灰皿に押し付けるようにして火を消すと、智美の目をじっと見詰めた。
「え?」
 智美もつられるように龍之介の顔を見た。
「俺を前の彼氏の代用品にしようと思ったんだな? だからこんなに付き合ってくれたんだ」
「ちょ、ちょっと、そんなことじゃないのよ」
「何が違うんだよ」
「……」
「吹っ切りたいのなら似た男なんか近づかなきゃいいだろ。俺に声をかけたってことは、智美がまだ前の彼氏を忘れてない証拠じゃないか」
 龍之介はそう言って席を立った。伝票を乱暴に掴むと、龍之介は智美を見下ろしながら続けた。
「今日は楽しかったよ。じゃあな」
「ちょっと、待ってよ」
 智美が思わず立ち上がる。清算に向かいかけていた龍之介は智美の方を振り向き、なんだよ、と言った。
「本当に今日は俺も楽しかったんだよ。もう十分じゃないか」
「十分じゃないわ」
「なにがだよ」
「龍之介くんが私のことを誤解してるから」
「誤解なんてしてないよ」
「してるわ」
「してないね」
「絶対に自分の意見は曲げないのね」
「悪いかよ」
「……前の彼氏もそうだったわ」
「智美はデリカシーがないよ。普通はそう思ってても口には出さないもんじゃないか? それで前の彼氏とも別れたんじゃないか」
「死んだのよ」
「えっ」
 二人の間に沈黙が走った。龍之介は黙ったまま智美の表情を見つめ、智美は目を伏せて龍之介の言葉を待っていた。その沈黙を破ったのは、智美だった。
「死んだのよ。前の彼氏は」
「……」
「私と付き合っていたのに、別の女と結婚して、それでつまんないことで死んじゃった。だからあの人は私の中でずっと生きてるの。それがそんなに悪いことなの?」
 龍之介を攻めるような口調で智美がまくしたてる。龍之介にも言い分はあった。けれど言い返せなかった。あんなに大人ぶっていた彼女が、今はどうしようもないほど幼く見えた。
「俺は誰かに重ねられるのが嫌なんだよ。俺は俺だ。智美の前の彼氏じゃない」
 龍之介は喉の奥からなんとか振り絞ったような声で答える。
「わかってるわよ、そんなこと」
 智美は椅子に座りなおし、がっくりとうなだれた。かすかに嗚咽の音が聞こえる。今までずっと泣きそうになるのを我慢していたのか、そんな姿を見て龍之介はやはり智美が少女のように思えた。
「智美」
 呼びかけるが、返事は無かった。それから二度、三度と声をかけたが結果は同じだった。龍之介は智美の肩を掴みもう一度声をかけようとしたが、智美は小さく首を振り「一人にして」と呟いた。智美とまだ話がしたかった。しかし、彼女はそれを拒否している。龍之介は心残りを感じたまま、建物を後にした。
 もう外はすっかり暗くなっていた。

 

 

 近くの公園へ足を踏み入れると、ベンチに腰をおろし、龍之介は煙草に火をつけた。この公園について20分ほど経つが、それまで立て続けに吸っている。今日の昼に買ったばかりの煙草はもう空になっていた。
 龍之介は煙を吐きながら、智美の姿を思い出していた。レストランのテーブルに俯いたまま泣いているあの姿を。智美は前の彼氏をどれほど好きだったのだろうか。そして彼が死んだときどれほど悲しかっただろうか。龍之介にはそれがわからない。だからこそあれほどはっきりとものを言えたのかもしれない。それが智美にとって良い事だったのだろうか? 悪いことだったのだろうか?
 わからない。いくら考えても答えなんて出るはずが無かった。龍之介は煙草を地面でもみ消すと、吸殻を携帯灰皿へと放り込む。しゃがんだまま上半身をがっくり前へと折り曲げ、大きく息を吐いた。嫌な気分だった。
「あなたも好きなのね。公園が」
 急いで顔を上げた。街頭に照らされ顔は殆ど影になっていたが、声だけで龍之介には十分すぎるほど誰なのかわかっていた。
「智美……」
「信じてたのよ。あなたならきっとここに来るって」
「昨日会ったばかりだぜ」
「私はずっと前からあなたを知ってるもの」
 そう言いながら智美は龍之介の隣に腰をおろした。
「ねえ、龍之介くん。私たち、やっぱり会うべきじゃなかったのかもね」
「……」
「でもね。私はあなたと会えてよかったと思ってるわ。そりゃ、あなたには悪い事したと思ってるけど」
「もういいよ、そのことなら」
「いいから聞いて。誤解されたままは嫌だって言ったでしょ」
「誤解なんてしてないったら」
「じゃあ私の話を聞いてよ」
 智美の目は真剣だった。幾分か赤くなっているかと思ったが、それは殆ど感じさせないほど彼女の目は真っ直ぐだった。
「似ている人を好きになっちゃいけないの?」
 龍之介は閉口したままだった。それでも智美は構わず言葉を続けた。
「人を好きになるきっかけなんて様々だわ。それを自分で自由に決めることなんて出来ないじゃない」
「じゃあ前の彼氏を忘れてくれよ。俺はそれからじゃなきゃ何も進まない気がする」
「そんなこと出来っこないわ。あいつは、今でも私の中に居るんだもの」
「それなら俺は智美に何も出来ないよ。俺を俺と見てくれないんだから」
「そうね。龍之介くんの言っていることが正しいと思うわ」
「だったらどうして――」
「あ……」
 龍之介の肩にひらりと雪が降ってきた。智美は立ち上がり、手を空へと向けると独り言のように言った。
「雪……降ってきた。3月なのにね。不思議な天気」
「別に珍しいことじゃないさ。雪なんてオーストラリアなら8月でも降るぞ」
 智美が振り返る。振り返った智美は、笑顔だった。街頭に照らされて明るくなった彼女の顔は、ほんのりと上気していた。寒さからか、それとも他の理由からか、龍之介にはわからなかった。
「高校の卒業式も、雪が降ってたな」
「そうなのか?」
「うん。あの時あいつ、卒業証書肩にかけて、ちょっと照れたように笑ってた」
「……」
「ごめんね、龍之介くん」
「もういいよ」
「ごめんね」
「もういいったら」
 智美が龍之介に近寄ってきた。俯いていた龍之介の名前を呼び、顔を上げた所で二人の唇が重なった。周りには何人も人が通っていたが、二人はそのまま長いキスを続けていた。
 智美が唇を離し、龍之介に向かって微笑んだ。
「じゃあね、龍之介くん」
「おっ、おい」
「さよならのキスよ。悪かったかしら?」
「い、いやそうじゃなくて……」
「さよならのキスだから、もう会わないわ。龍之介くん、本当に今日はありがとう。私、いつかはあいつのことを吹っ切るから」
 それだけ言うと、智美は振り返って歩き出した。やがて智美の姿が見えなくなった頃、龍之介はようやくベンチから腰を上げた。
 頭が混乱していた。泣いていた彼女。ひどいことを言ってしまった自分。夜の公園。突然のキス。龍之介は慌てて公園を飛び出し、辺りを見回した。夜の街は会社学校、はたまたデートの帰りらしき人でごった返していた。龍之介は叫びだしたくなるのを息を飲み込んで我慢した。
「――なんでなんだよ」
 アスファルトに向かって吐きつけたその言葉を、誰が聞いたかはわからない。ただ街中にはしんしんと降る3月の雪が残るだけだった。

 

 


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