見慣れた景色が閃光のようにおれの隣を疾走していく。自分の背中から聞こえる怒号に、焦燥と少しの苛立ちを感じながらおれは走っていた。全力疾走をするなんて久しぶりだなとか思いながら、とにかくしゃにむに走っている。真っ黒なポンチョのようなものをかぶり、ずいぶんと動きづらい格好なのに、おれは信じられないようなスピードで駆け出していた。試合のときでもこんなに速く走ったことはないんじゃねえか、とそんなどうでもいいことを考える余裕はあるらしい。後ろからやってくる“パワフル高校”のやつらもそろそろ諦めてもいいのに、と思いながら振り向いた。まだいやがる。ちくしょう、しつこい野郎達だ。なにも部員一人が怪しげな黒尽くめの物体に不当な暴力を受けたというだけじゃないか。あ、十分な理由だ。そりゃ追いかけるな、うん。そう思い立つや否や、おれは更にスピードをあげて疾走した。ついてこれるもんなら、ついてきやがれ。
ひどく走りにくい格好だったが、それでもおれはなんとかここ、極亜久高校まで逃げ切れた。この町のことならあいつらよりもわかっている。裏路地がどこに繋がっているか。自分の目指す行き先に対してどこを通れば一番近道か。そんな知識が役に立ったようだった。うっすらと汗ばんだ“かくれみの”を脱ぎ、おれはほっ、と一息をついた。
他人の邪魔をすることが好きなわけではない。そうまでして勝ちたいとは思わない。それでもおれはこの“妨害作戦”と称された非人道的行動に体を動かしてしまう。そこに龍之介が思い抱いているような向上心があるわけではない。どちらかといえばおれは野球を趣味でやっている。プロを目指しているつもりはないし、勝利にこだわることもない。ただ、野球をしている、という過程が好きなだけなのだから当然だ。人並み程度に勝負心はあるつもりだが、それでも龍之介や他の部員達と比べればそこの心構えは雲泥の差なんだろう。そんなある意味では自堕落で自分本意なおれが何故身の危険を冒してまでこのような行動に身を投じるのか。答えは、一つしかなかった。
「あら、今日も真藤君が妨害作戦に行ったの?」
困ったように顔をほころばせる彼女の顔は、やっぱり綺麗で、あぁ、いい返事はもらえそうにないなと思ったがそんな彼女の綺麗な横顔を見ることが出来たので聞いてみてよかったなあと思わせる。こんな些細なことで満足しているようなおれが、何を期待できるというのだ。彼女には想い人がいる。そんなこと重々承知だ。でも、それがなんだ? そんなことで諦められるものか。たとえ自分に振り向いてくれなくても、早々に諦めることなんて出来るはずがない。それほど彼女はおれにとっては魅力的で、どうしても手に入れたいと思わせる存在なのだ。しかしそれは幻想に過ぎなかった。きっと彼女がおれの元に来ることはない。少なくとも、それを感じさせることすら今までになかった。それでもやっぱり彼女に執着してしまうのは、やっぱりおれが彼女を心底好きになってしまったからなのだろう。
「ええ。残念ながら、まだみたいね」
おれにはもうわかっていた。彼女がおれを見ることなど未来永劫ないだろうということに。きっとおれはこれからも彼女を好きでい続ける。だったらそれと同じ理由で、彼女もあいつを好きでい続けるはずなのだから。だから、おれたちが救われることはない。だったら、おれは精一杯の気持ちで彼女を愛し続けよう。それが報われないと知りつつも、届かないと知りつつも、精一杯の愛情でぶつかってみよう。叶うはずもない恋だけれど。苦しいけれど、哀しいけれど、おれにはどうすることも出来ないけれど。それでも彼女を愛している。一目見たあの日から恋に落ちたおれは、もう這い上がれないところまで来ていたのだ。この猛毒の蜜の味はおれと智美だけが知っていた、吐き気を催すような陶酔だった。