雷が鳴る前に
Short Story

 

 夕立の止んだ空にオレンジ色をした雲が太陽の周りに立ち込めていた。昼までは太陽の光がさんさんと降り注いでいたのに、午後の授業が始まった頃には急に夕立が降り出した。春のせいなのか最近は天気が移ろいやすい。が、雨の止んだ空気は好きだった。真藤拓郎(しんどう たくろう)が屋上に出た頃には天気も良くなっていたし、この場所は彼にとっての聖域とも言える空間だった。けれど今日は夕立のせいで地面が少し濡れている。真藤はフェンスの上に張付いた水滴を手で軽く弾き飛ばすと、その上にもたれかかった。学ランの上から袖が少しだけ濡れた感触がした。
 真藤がここ極亜久高校(ごくあくこうこう)へと転校してきてから、およそ一週間という月日が経過した。この極亜久高校はその名の通り、非常に不良の多い高校だった。その事は真藤も転入する以前から何度となく耳に挟んでいた事だし、それなりの心構えを持って極亜久高校へとやってきた。だがいざ転入してくると、不良をうっとうしく思うよりも先にその居心地の悪さの方が気になった。どうも自分はこの学校と肌が合わないらしい。他の生徒と比べて自分はまったく異質に思えた。物事の考え方から、今まで歩んできた人生そのものまでまるきり違う。真藤は、極力人と関わりの無い様にこの一週間を過ごしてきた。真藤にとっては都合の良いことなのか、極亜久高校の生徒は結束力がある。なので、転校生に対してかなり冷たい態度を取っていた。絶対に向こうから干渉してくることは無いし、話し掛けたところでむちゃくちゃな因縁をつけられる所だ。それが面倒なので、真藤はずっと独りだった。

 

『ぎぃ……』

 

 扉の開く音がした。真藤は外の景色を見ながら、小さく舌打ちをする。ここの生徒は屋上が好きなのか、真藤がこの場所で休んでいてもよく誰かと鉢合わせになる。
 真藤はゆっくりと振り返った。そこには自分と同じく着くずした制服を身にまとった男子生徒が一人いた。ずいぶんと身長が高い。186センチある真藤と同じくらいだろうか。学ランではなく、半袖のカッターシャツを羽織り、胸が大きく開いている。幅の太いズボンに、かかとの潰れたシューズ。典型的な不良のパターンだ。真藤はその男を確認すると、ポケットに両手を入れ、階段へと向かった。男もズボンのポケットに両手を入れたままの姿勢でしばらく真藤を見ていたが、通り過ぎるその瞬間に口を開いた。
「おい」
 ん、と真藤が振り向く。
「お前タバコ、持ってるか」
 喫煙をしない真藤が軽く首を横に降る。すると男は口角を上げ、にやりと笑って見せた。
「せっかく誰やおったから貰お思ったんやけどな。ツイてんねやらツイてへんねやら」
 男は真藤の方をぽん、と叩き、そのまま階段を下りていった。真藤はその男の後姿を見ながら、
「……あいつが、番長か」
 と呟いていた。

 

 

 窓の外が暗い。時間はまだ17時だというのに、まるで暗い青色のペンキを垂らしたようだった。空が光るたびについ目で追ってしまう自分に苦笑しながら、真藤は開いたバイク雑誌に目を落とす。最近はどうにも天気が変わりやすい。今日も雷が鳴る荒れ模様だ。こんな天気の日は気分までなんだか陰鬱になってくる。紛らわすために持ち込んだ雑誌も気休め程度にしか感じられない。
 今日はもう帰ろうか。真藤は雑誌を鞄へと乱暴に投げ込むと椅子から立ち上がった。窓の外へちらりと目を向け、『帰りたくねえなあ』とぼやく。こんな天気の中、外に出たくないという気持ちもあった。出来る事なら校舎の中で夜を明かしたい気分だ。しかしそうもいかないので、真藤は仕方なく教室を出ようと扉へと向かった。
 廊下に出て、昇降口に向かう途中の階段で一人の男子生徒と目が合った。そこには10人近くもの人間が銘銘集まっており、それぞれが階段の傍で座ったりで話に花を咲かせている。出来る事なら関わり合いになりたくないのだが、ここを通らねば昇降口には出られない。仕方なく真藤はその集団の傍を通り過ぎようとしたのだが、先ほど目が合った男が真藤の行く手をふさいだ。
「なんだよ」
 真藤が言う。すると男はにやにやといやらしい笑みを浮かべながら答えた。
「おマエ、転校生やったな。一年のくせに一丁前な格好しとるやないか」
 確かに真藤の格好はいささか“やんちゃ”であった。学ランの前は完全にはだけているし、中から焦げ茶色のタンクトップが覗いている。ズボンは幅の太いドカンだし、ベルトも右足の太腿あたりまで垂れている。……が。
「あんたには関係ない」
 男は“にやにや”を崩さないまま答える。
「なんやぁ、威勢ええやないか」
「別にあんたに迷惑をかけていないだろ。それとも何か? 喧嘩でも売ってるのか」
「そんな格好しとったらシメられんのは当然やろが」
 すると真藤は俯き、小さく
「――なるほど。腐ってるな」
 と呟いた。その言葉がきっかけになったようで、周りにいた仲間が全員真藤を囲むように迫り寄ってきた。真藤はそのうちの一人、にやにやの男の傍に近寄り、「へっ」と笑ってみせる。少し注意が逸れたのを見逃さず、真藤は男に正拳を叩き込んだ。ぐお、と小さく呻いて、男の顔が前へと傾ぐ。続けざま真藤は男の後頭部を掴み、その顔面に火の噴くような膝蹴りを見舞った。鈍器同士がぶつかるような音が響き、男の首が今度は後ろへと飛んだ。男の鼻からはまるで壊れた蛇口を思わせるほどの鼻血が噴出していた。
「何しとンじゃいっ」
 予想通り、周りの男達が真藤に向かって襲い掛かってきた。真藤は全員を目で少し追うと、わき目もふらずに走り出した。階段を駆け下り、昇降口へと飛び出す。外は出る前から耳障りな風の音と激しい雨脚が見え、聞こえていたが躊躇している場合ではない。真藤は自分の後ろからやってくる激しい足音を聞きながら、豪雨のなか走り去っていった。

 

 

 昨日の雷が嘘のような快晴だった。こんな天気の日に屋上で仮眠を取る事を、真藤は最上としていた。昨日のいざこざのせいか、今日は朝から気分が晴れない。午後の授業は欠席になってもいいか、と早々に決め込み、真藤はごろりと横になった。目を閉じてから数分。ようやくうとうととしかけたころに、扉の開閉する音で夢から引き戻された。上半身だけを起こして扉のほうへ目をやると、そこには以前にここで見かけた顔があった。
「なんや、お前か」
 男はそういうと、自分の頭を手で撫ぜた。
「タバコもやらへん良い子チャンやと思うとったからその服装も大目に見たんやけどな。こんなことやったら前にここで会うたときにシメとくんやった」
 真藤は立ち上がり、男に向かって問い掛けた。
「おれに何か用事かよ」
「用事も何も。お前昨日オレとこのツレに手ぇ出したんやろ?」
 一瞬とぼけようとも思ったが、やめておいた。そんなことをしてもどうせいずれボロが出る。
「あぁ。あのまま何もしなくてもどうせ揉めることになりそうだったからな。先手を打たせてもらった」
「それでそのままで済むと思ったか?」
「何が言いたい?」
「オレもシメシがあるからな。悪ぅ思うなや」
 そう言いながら男は学ランのボタンを外し、上着を地面へと落とした。その後つかつかと真藤の方へと歩み寄り、右腕を引いた。その動作を真藤が確認した頃には男の右腕が真藤の顔面へと飛んできた。真藤は反射的に左拳を上げ、男のパンチを払う。すると男は「はっ」と息を漏らして笑った。
「避けよったか、ハハ」
「おい、ちょっと待てよ。こりゃどういうことだ?」
「オレは極亜久の“番長”や。この学校はそら確かに不良も多いしアホな生徒ばっかりや。そやけどこんなトコでも秩序はある。一応な。学年のまとまりやったり、その他のグループやったり、種類は色々やけど、それなりに纏まってんねや。そやから、お前みたいに反発するようやヤツはオレが抑えつけんといかんわけや」
「あんたに逆らう奴は力ずくで言いなりにさせるってことか」
「目茶目茶悪く言うたら、そういうこっちゃな」
「やっぱりだ」
「なんや?」
「この学校の現状は最低だ。おれが変えてやるよ」
 そう言いながら、拓郎は番長の右腕を素早く掴んだ。はっと目を落とす番長を尻目に、真藤は握った手を軽く引き、廻す。それだけの動作で、80キロはありそうな番長が90度回転し、真横から地面へと倒れこんだ。起き上がろうとする番長の腹に、真藤はつま先で思い切り蹴りこんだ。が、それは番長の腕で防御されてしまった。番長の肘あたりにつま先が刺さり、真藤は小さく呻き声をあげる。すぐさま番長は立ち上がり、首を鳴らすと真藤へと回り蹴りを放った。真藤の横腹に番長の足が刺さる。真藤は少し声を上げたが、引かずにそのまま足を右手でロックした。姿勢を崩す番長を確認し、綱引きの要領で番長の足を思い切り引き上げた。番長は頭から地面へと倒れこんだが、かろうじて受身が間に合った。が、しかしその頃には真藤のかかとが番長の顔面に向かって飛んでいた。どしゃ、という音がして番長の鼻頭に真藤の足がめり込む。終わったか、と真藤が足を引き上げたが、番長はじろりと真藤を睨みつけ、立ち上がった。ぼたぼたと流れ落ちる鼻血が地面を赤く染める。驚く真藤を無視するように、番長の正拳が真藤の腹へと突き刺さった。身体をくの字に曲げて後退する真藤に追い討ちをかけるように番長が次のパンチを迫ってくる。真藤は向かってくる番長のシャツを掴み、自分の方へと思い切り引き寄せ頭突きを放った。真藤の額が番長の鼻にぶつかる。真藤は同じ個所を狙いつづけた。この男は一度では倒れない。真藤はその後二度、三度と頭突きを食らわせた。番長の目から涙が零れる。しかしその目は死んでいない。真藤は手を離し、掌底を番長の胸に放った。かは、と小さく息を漏らし、番長の体が前へと傾ぐ。真藤はそのまま番長の胴体に向かって前蹴りを入れた。真藤の膝下辺りが番長の腹にめり込んだ。番長は足を折り曲げ、どしゃりと倒れこんだ。
 真藤は乱れた息を直しながら、制服の裾を触る。番長は倒れこんで少しも動かない。
「おい、大丈夫か」
 真藤の言葉に番長は身体をひくつかせて反応して見せた。ゆっくり横に回転し、顔を真藤へと向ける。その顔は鼻血で真っ赤に染まっていた。
「こら、あかんわ。負け、負け。オレの負けや」
 そう言いながら番長は右腕で自分の鼻をこする。
「寝とって鼻血が固まってしもたら危ないな」
 番長は右腕をそのまま地面につき、ふらふらと立ち上がった。その足は少し痙攣しており、立っているのも辛そうだ。
「一年に喧嘩で負けてもうたか。こらええ笑いモンや」
 へへ、と笑いながら番長は振り向き階段へと向かった。
「今から極亜久のアタマを張らせてもらうぜ。文句はねえな?」
 真藤の問いかけに番長は立ち止まり、少し間を置いて振り向いた。
「ああ。今日からお前が“番長”や。誰に気兼ねなく自分をそう称せや」
 すると真藤は唇を曲げ番長の目を見据え、
「いいや」
 と言い、その後おどけたように続けた。
「それはやめておくよ。かっこわりいから」

 

 


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