#6.恋心

 

 そのまどろんだ意識はまるで、暖かい海の中をゆっくりとただよっているような感覚だった。まだ視界の先はおぼろで、自分が此処にいることすら危うい気分がする。完全に覚醒するにはもう少し時間を要する。それでも、自分が何故この場所にいるかはわかっていた。
 今日は珍しく風の少ない日だな、と思っていた。この所、曇り空が続きそれに伴うように強い風の日が多かった。しかし一歩外に出てみればそこには晴れ渡った空と、強い日ざしが見え隠れしていた。はるかは少しだけほ、と息をつくと、何かを決意したように歩き出した。自宅から恋恋高校の目前までは送迎の車で送ってもらったのだが……思い切って、校門の手前まで行ってもらうべきだったと、今は後悔している。はるかは、車から一歩足を降ろすやいなや、五分と経たずに倒れこんでしまったのだ。もともと日光に強いほうではない。なので、今日のように急に気温や日の強さが変わると体調を一気に崩してしまう。そんなことなんてわかっていたはずなのに……。
 酒井に保健室まで抱きかかえ上げられ連れてこられたのを思い出した。はるかはベッドに横たわったまま、ずいぶんと苦労して顔を傾ける。どうやら、隣のベッドは空いているようだ。今は何時ごろだろう。確か今日は短縮授業で昼までのはずだけど……。
「ん、目が覚めたか?」
 どこか遠いところから声が聞こえた。しかし、その声の主が自分のすぐそばにいたことをはるかは気づけずにいた。
 酒井ははるかの隣のベッドに腰掛け、なにやら携帯型のゲーム機を手にして座っていた。はるかが目線をあげると、口を少し尖らせた酒井の顔を見つけることが出来た。
「七瀬、起きてるか?」
 もう一度酒井の声が聞こえた。
「はい。酒井さん、もしかしてずっと待っていてくれたんですか?」
「いいや、授業が終わったからその前に寄ったんだ。お前、どれだけ寝てんだよ」
 酒井がはるかを茶化すかのような口調でそう言った。
「授業終わっちゃったんですか?」
「ああ。もう13時過ぎだからな」
「いけない。部活の練習が始まっちゃいます」
「それなら大丈夫だよ。七瀬が体調崩して休んでることはさっき都川に言ったからな。桐島にも伝わるだろ」
「でも」
「特に今なんて一番日差しが強い時間だぜ。また倒れちゃシャレになんねーだろ」
 酒井は携帯ゲーム機をズボンの後ろポケットに強引に突っ込むと、ゆっくりと立ち上がった。
「あれ? ……酒井さん、なんで私が日差しに弱いことを知っているんですか?」
「ああ。早川に聞いたんだよ。あいつもずいぶん心配してたぜ。一回様子見に行ったらしいけどな」
「……全然記憶にないです」
「寝てただろ。ま、とにかく今日は部活には顔を出さなくていいからな。ゆっくり休めよ。なんかあったら俺か桐島か……早川でも誰でもいいから連絡するんだぞ」
「はい。本当にご迷惑をおかけしました」
「いいよ。じゃ、俺は行くから」
 そう言って酒井はカーテンに手をかけようと手を伸ばした。
 その酒井の手を掴んだのは、はるかにとってまるで無意識のことだった。
 寝転んだ姿勢のままだったというのに、とてもスムーズに酒井の右手を掴んでいた。呼び止められたのかと振り向いた酒井は、少し事情が飲み込めないというような表情をしている。
「どうした?」
 酒井の言葉に、はるかは返事を返すことが出来なかった。酒井の手首を掴んだまま、じっと酒井の瞳を見続ける。
「あの」
「うん?」
「えっと」
「うん」
「本当に、ありがとうございました」
 それだけ言うと、はるかはにっこりと笑って見せた。朝に見たときはまるで死人のような顔色だったというのに、今はうっすら赤みもさしている。いや、それだけではない。今、はるかの白い肌はまるで、染まったかのように赤くなっていた。
 酒井はそんなはるかを見て、一瞬だけ呆然と彼女を見つめていた。手持ち無沙汰なのか、左手で頭の端を軽く小突いている。酒井は、口角をうっすらと上げて、はるかの礼に対し短く答えた。
「……ああ」

 

 

 暑い。まだ五月というのにこの暑さはどういうことなのだろうか。確かに今は一番気温が高い時間帯にあたるのだろうが、それにしても異常だ。桐島潤は人差し指で額に浮かぶ汗をぬぐうと、ふう、と息をついた。
 今日、野球同好会の練習を中断したのには理由があった。その理由こそが、今桐島の気持ちを大きく沈ませている原因なのだ。以前あおいと足立から耳にしたことだったのだが、どうやら理事長の孫と名乗る女子生徒が野球同好会を潰そうと企てているらしい。どうしてそのとき都合よく自分がいなかったのか、その間の悪さを嘆く一念も持ちながら、桐島は一つの不安を掲げていた。それは、足立にもあおいにもわからない、桐島だけが感じていた予見だった。
 時間は13:30……そろそろ頃合いか、と思い桐島はすっくと立ち上がった。が、その瞬間桐島は自分の心臓が大きく動くのが理解出来た。校舎の前、一人の女子生徒がこちらに向かって歩いてくる。ウェーブのかかった金髪をふわふわと揺らせながら、急ぐことも無く静かに足を進めるその姿を、桐島は知っていた。ふと頭に手を添え、口からゆっくり吐息を漏らす。今、自分の気持ちを落ち着かせるのに必死であった。
「お久しぶりですね」
 彼女――倉橋彩乃は桐島を見つけると、静かにそう口を開いた。
「ああ。やっぱりお嬢だったか」
「やっぱりとは心外ですわね。一体どんなお噂をお聞きになったのかしら?」
「別に大したことじゃねーよ。ただ、外見と口調を聞いてなんとなくな」
 軽く腕組みをして、彩乃をちらりと見下ろす。綺麗に揃えられた髪の毛。細長くどことなく威圧のある瞳。その中からは堅固な意思が感じられる。そして――頭の横で結んである、赤いリボン。そのリボンに視線を移したことがきっかけになったのか、彩乃は桐島の瞳をじっと見つめてきた。
「じゅ、潤様」
「えっ、ああ、ごめん」
 紅潮した顔でこちらを見つめる彩乃の目線を外しながら、桐島は心の中で「ああ、なんてやりづらいんだ」と、そんなことを呟いていた。
「わたくしとしたことが、コトを先走りすぎていたようですわね」
「なんのことだ?」
「潤様がいるとわかっていれば、先に申し上げたような無茶は言いませんもの」
「なんだ、それでいいのか。お嬢が言っていたんだろ? この先良い成果が残せるかどうかわからない部活にグラウンドなんか与えられないって」
「潤様がいるのなら大丈夫ですわ。今でも覚えていますもの。中学のとき、貴方が見せてくれたあの感動的な試合を」
 そりゃ買いかぶりすぎだよ。そう零しそうになったのをなんとか堪えた。
「そりゃどーも」
「わたくし、信じていますから」
「え?」
「この近辺は高校野球の激戦区です。パワフル高校、あかつき高校、聖皇学園――そんな中でも貴方なら、と信じているんです」
「そこまで期待されちゃしょうがないな。ま、頑張るよ」
「ええ」
「それで、お嬢。本当にそれでいいんだな?」
「え?」
「正直なところ、オレは今、はっきり成果が出せると約束が出来ない。特に聖皇学園のバッテリーの一文字と陽崎の名前なんて、県が違っていたオレですら聞いたことがあるくらいなんだからな。それでも、いいと?」
 真剣なまなざしで桐島が問いかける。その真意は、やはり躊躇があったのだろう。――今自分は、彩乃の気持ちを悪用しているのではないかと。
 桐島が彩乃と出会ったのは、中学二年の時だった。その時から既に膨大とも言える才気を見せつけ、二年にあがったばかりだというのに、練習試合で桐島はレギュラーで二番打者をつとめていた。それどころか、三年生を差し置いて部員トップの打率すら誇っていたのだ。その日の練習試合でも桐島は四打席三安打二打点をあげ、心持ちも良く帰路に着こうとしていたのだが、どうも自分の背後で人の気配がする。というより、誰かに見られているような……。桐島がふっと振り向いたとき、目を丸くして驚いている、可愛らしい女の子の姿がそこにあった。
「なんか用か?」
 桐島は彼女に向かってそう話しかけた。するとその女の子は、顔を真っ赤にして両手をぶんぶん振っていた。「いえ、その」「違う、違うんです」とかなんとか言葉にもならないような単語を投げかけ、後ずさりをしている。桐島はなんだか可笑しくなって、彼女に向かって歩き出した。
「なんだ、どうしたんだよ」
 桐島が目前までやってくると、彼女はことさら顔を赤くさせ、口元からあわあわと声にもならない声を漏らしていた。その反応が面白かったのか、桐島は彼女の肩に手をかけ、もう一度「なんだ?」と話しかける。その瞬間、彼女の体が大きく跳ねるような反応を見せたのが可笑しかった。ん? と首をかしげる桐島に対して、彼女は思い切ったかのように口を開いた。
「ファンなんですっっ!」

 

 彼女――倉橋彩乃が自分に対して抱いているのは、単純にファンとしての好意だけなのか、それともそこに恋心が含まれているのか……正直なところ、彼にはわからなかった。そのため、彼女に対する接し方も未だにわからないし、ある程度の距離を保ってしまう。はじめは碌に話すこともままならなかった彩乃だったが、今はこうして普通に会話することが出来ているし――そんな感情が、今でも彩乃への苦手意識に繋がっている。
 桐島は彩乃にじっと目を合わせ、彼女の答えを待った。すると彼女は突然ぷいと目線をそらし、腕を組みはじめる。
「それは、潤様の頑張り次第ですわね」
「手厳しいな」
「当然ですわ」
 売り言葉に買い言葉――やっぱり、オレ達はこの関係でいいんだろうな。桐島はそんなことを思っている。しかし、そんな考えが浮かんでくるのはやはり、自分が彩乃に少なからず惹かれている事実があるからなのだろう。だがそれは、許されない。世間の常識ではどうかはわからないが、相手の好意を利用して近づくということが桐島の中で許されないことだった。だから、近くには寄せない。そう決めていた。決めていたはずだった。
「じゃあ、また」
 笑みは浮かべない。しかし、瞳の奥で情熱が渦巻いている。そんな彩乃の瞳を、桐島は見ない振りをした。そしてそれは、これからも続くのだろう。仕方の無いことだ。彼女に恋心を抱くことなんて、許せない。なら押さえつけるまでだ。たとえそれがどんなに辛くても。
 やっぱり、会いたくなかったな。
 桐島は彩乃の姿が完全に見えなくなったのを確認してから、そう独りごちた。

 

 

 倉橋彩乃が去った後、足立は桐島にすべての事情を教えてもらった。
 とりあえず野球同好会が潰される心配は一旦なくなったということなので安心はしたのだが、それにしても桐島の憔悴しきった表情には言葉もなかった。たかだか二〜三分立ち話をしただけだというのに、どうしてそれほど疲れているのかと聞いてみたのだが、桐島は曖昧に言葉を濁すだけだった。

「練習どうしようか?」
 足立はあおいに向かってそう話しかける。あおいは相変わらずスカートの裾を座り込んでいた。どこから買ってきたのか紙パックのアップルジュースを片手に持ち、足立の顔を見上げている。
「潤君、具合でも悪いのかな?」
「そうかもしれないね。ケガするのもバカバカしいし、桐島にはもう帰って休んだほうがいいよとは言ったんだけどね」
「じゃあ今はボクと都川君と、足立君だけか」
 そういえば相変わらず朝倉と韮沢の姿は見えない。今日も遅刻のようだ。
「うん、桐島が帰るとなると練習は自主練習になるけど……何をしよっか」
 んー、と空を見上げ、あおいが黙り込む。足立は左手をポケットに手を入れ、あおいの動向を待っていたのだが――ふと、校舎からこちらに向かってくる人影を見つけた。どうやら女子生徒のようだ。はるかちゃんかな、とも思ったのだがどうやらそうではないらしい。
「シンゴ」
 彼女は――白川麻美であった。麻美は片手に鞄を持ち、下校途中のような風体であった。足立を見つけにっこりと笑みを浮かべる麻美に対して、足立は「やあ」と曖昧に返事をする。
「あれ? 白川さんじゃない」
 あおいの発言に、足立は驚いた。何故あおいが麻美を知っているんだ? 足立は無意識にあおいを睨んでいることに気づき、慌てて目線を麻美に戻した。
「やあ。早川さん」
「二人、知り合いかい?」
 足立の問いかけに返事をしたのは、麻美であった。
「ああ。同じクラスなんだよ」
「足立くんこそ、白川さんと知り合いなの?」
「えーっと、ああ、うん。中学の時の同級生なんだ」
 足立がそう言い終わったとき、麻美は「くく」と喉を鳴らして笑った。いつもの猫の鳴き声のような癖。足立は、その本意に気づきながらも気づかない振りをして麻美に話しかける。
「それで、麻美。何か用事かい?」
「用事というほどでもないよ。生憎午後から予定がなくてね。……くく。シンゴの野球姿でも拝ませてもらおうかと、ね」
「それ、嫌味かい?」
「さてね。それより二人とも、練習はどうしたのかな。まだ制服姿のようだけど」
 足立が返事をしようとしたが、麻美の目線が二人を行き来したあとあおいで止まったのでやめておいた。
「うん。ちょっと色々あってね――」
 あおいが状況を軽く説明すると麻美はふんふんと首を縦に振り、納得したようだった。
「三人しかいないのなら今日は練習を休みにしてもいいんじゃないかな」
「えー? 自主練習なら一人でも出来るよ」
「早川さん。君たちは野球同好会が出来てから毎日練習をしているんだろう? きっと疲れが溜まっている。桐島くんの調子が悪いという原因もその辺りにないとはいいきれないよ」
「それでもさ」
 足立はあおいの右肩を触ると、じっとあおいの瞳を見つめた。不思議そうに自分を見つめるあおいに対して、足立が真剣な表情で口を開いた。
「あおいちゃん。今日は、休みにしようか」
「え? どうしたの、足立くんまで」
「はるかちゃんも倒れているようだし……様子を見に行ってあげてほしいとも思ってたんだ。でも、やっぱりどうしても僕の口から休みにしようとは言いづらくてさ」
 そうだ。はるかも体調不良で倒れていたのだった。しかも、物の例えではなく本当に倒れたらしい。そのことを言われると、あおいも弱かった。しばらく悩んでいたようだったが、あおいは渋々「うん」と了解の意を示した。

 

「何か意図があるのかな」
 あおいが保健室に向かったのを見計らって、足立はそう麻美に話しかけた。すると麻美は怒ったように眉を上げ、足立に向かって非難するような目線を向ける。
「心外だね。私は本当に体調が心配だったんだよ。シンゴを含めて、みんなのね。それに」
 一瞬間を置き、麻美ははっきりとした口調で続けた。
「君も、確信したんだろう。きっと、早川さんの肩はかなり筋肉が固まっていた」
 その麻美の問いかけに、足立は口元に微笑を浮かべるだけで、返事をすることはなかった。ただ目線を逸らし、長い瞬きを一度したのが足立の失敗であった。これは、足立が嘘をついているときの癖だ。当然麻美もそのことを知っている。しかし、麻美はそのことを言及しなかった。
 足立は嘘をつくのが下手だ。あおいの肩に触れたとき、彼の表情は微妙な変化を見せた。それは口元であったり、眉間であったりするが、とにかく小さいながらも反応があった。麻美でなければ見落としていたかもしれないが、それは言い返せば麻美なら足立の些細な嘘でも見抜くことが出来るということでもある。

 麻美と並んで校門を出たとき、足立は小さくちっ、と舌打ちをした。麻美がどうしたの、と問いかける寸前で言葉を止めた。その理由は、足立の舌打ちの原因が麻美にもわかったからであった。恋恋高校の校門の前、一人の男が立っている。年のころは四十台か五十台であろうか。長い口ひげと長髪が年齢をわからなくさせている。頭にはニットの帽子を被り、片手に小さなメモ帳なようなものを持っていた。そして足立は、その男のことを知っていた。
 男は足立を見つけると、手を上げて合図をした。今日は厄日か――足立は、心の中でそう思ってため息をついた。
「やあ、足立君」
「心臓に悪いですよ、影山さん」
「すまんね。あいにく私は突然現れるのが趣味でな」
 彼は、影山秀路(かげやま しゅうろ)といった。中学時代、影山は足立の中学の野球部に何度も赴いていたので面識があった。影山は、プロ野球のスカウトである。それも、名うてのスカウトとして有名だ。そんな人物が何故わざわざ恋恋高校などに来ているのか――足立は逃げ出したい気持ちであった。
「足立くんが野球を始めたとは以外だったな」
「どこからの情報なんですか、まったく」
「私はスカウトだよ、足立くん」
「ええ。それで、影山さんの狙いは誰ですか。桐島ですか、都川ですか」
「ふむ。二人とも中学時代の有名選手だな。確かに彼らもチェック対象だな」
「ということは他にも本命が?」
「さてな。しかし参ったな。恋恋高校に野球部が出来たというので見に来てみたはいいが、校内に入ることが出来なくて困っているんだよ」
「また明日にでも理事長に連絡しておきますよ。影山さんが来たら通すようにと」
「そうしてくれるとありがたい」
 影山はメモをめくりながら、なにやらペンで書き込んでいた。
「しかし、こうしてみると足立くん。君のいた中学の野球部は本当に素晴らしかった」
「どうしたんですか? 急に」
「特に、去年のエースが突出している。左腕でMAX144km――ノーヒットノーランや完全試合の経験もあるね」
「ええ。良い選手でしたよね」
「足立くん」
「はい」
「私は、彼には本当に惹かれていたよ」
「そうですか」
「見たいものだ。もう一度、彼の投球を」
「申し訳ないですが僕にはどうしようもないですね」
 足立のそっけない返事に、影山はふん、と笑みを挑戦的な笑みを浮かべた。
「そうだったな。さて、そろそろ失礼するか。どうやら今日は練習をしていないようだしな」
「ええ。また来てください。桐島達も喜びますよ」
「うむ。それではまた」
 そう言って影山が振り向いたが、その時はたと足を止めた。不思議そうに見つめる足立に対して、影山は目線を反らす。影山の目線の先には――麻美がいた。
「そうそう。白川くん。足立くんの野球部が素晴らしかったのは、やはり君の力も大きくあったのだろうね。きっと君なら――良いスカウトになれる」
 影山の言葉に、麻美は曖昧に笑って返事をする。
「スカウトですか。まだ興味ないですね」
 影山は目を閉じ、ふ、と悲しそうに息を漏らす。影山の目に、二人はどう映っているのだろうか。それは足立の知るところではなかったし、知りたくもなかった。今はただ、野球をやっているのが楽しかったし、それだけで十分だ。プロのスカウトなんて出来ることなら係わり合いにもなりたくない。多分、桐島にそんな話をしたら大声で笑い転げるに違いないな――そんなことを思いながら、足立は去ってゆく影山の後姿を目で追っていた。
 時間はまだ十四時。日も高い。
「なあ、麻美」
「うん?」
「映画でも行こうか」
 足立の発言に麻美は驚いた様子だったが、すぐさまいつもの笑みを浮かべてみせた。
「くく。手は繋げないけどね」
「手は繋がないし、日の暮れた公園でキスもしないさ」
「付き合うよ、もちろん」
 とびきりの笑み――というわけにはいかなかったが、麻美も優しく笑ってくれた。彼女もいささか気分が沈んでいたようだが、少しは解消されたようだ。今日は色々なことが起こって、少し疲れてしまった。こんな時は遊びに出るのが一番だ。

 ごめん。
 ごめんよ。
 ごめんなさい。
 ごめんね。

 足立の心でそんな言葉がぐるぐる回る。それが誰に対して向けられたものなのかわからない。それでも、進もう。自分の思った道を、自分の信じた道をまっすぐに。足取りの軽い麻美の後姿。それに釣られるように、足立も彼女を追いかけた。今日だけは曇った気分なんて似合わない。

 今日は、こんな天気の良い日なのだから。

 

 

 

 

 

>>#7.デートの仕方


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