オオカミ少年
Pawapoke6 Short Story
彼女がそっと触った花は、綺麗で、可憐。
危険なものほど美しく、雅なもので、ぼくたちを魅了している。
彼女自身もそうだよな。
ぼくは、そんなことを思っていた。
「何をやっているんだい?」
振り返った彼女は、無表情。はじめて出会った頃はなんて綺麗な人なんだろうと思っていたが、彼女には感情があまり感じられなかった。つい、二、三ヶ月ほど前のこと。
「皮肉なものだ」
ぼくはえ、と返事する。
「お前たちを縛り付けたこの麻薬。見ただけでは、とても綺麗なのにな」
そう、彼女は自虐的に笑っていた。
「ヘルガ。君は、しあわせ草をなんだと思っている?」
ぼくのくだらない質問に、彼女は笑いながら答えた。
「便利な玩具」
ここしあわせ島に来て早100日。与えられた仕事を淡々とこなしながら、ぼくは脱出の契機ばかり伺っていた。
ヘルガたちの犬になりさがる奴ら。
些細なプライドは持ちながらペラを稼ぐことしか頭にない奴ら。
贈賄を繰り返して気に入られようとする奴ら。
本当に、くだらない人間ばかりだったとぼくは思う。それでも彼らと出合ったことを後悔しているのかと思えば、そうでもない。
「マコンデが自殺したよ」
ぼくの言葉に、ヘルガはなんの感慨も沸いていない様子で、やっぱりしあわせ草畑を前にして、花をつけたしあわせ草を無表情で弄っていた。
「そうか」
振り返りもしないで、そう言う。
「プライドの高い男だった」
ヘルガがそう言って立ち上がった。やっとこっちを向いたよ。
「女であるわたしの下で働いていることにも不満を感じていた」
「プライドなんてくだらない自己満足だ」
はは、とヘルガが笑う。ぼくも釣られて笑った。ほんの少しだけ。
「わたしもそう思う。しかし、そのくだらない自己満足は誰だって持っているものだ。わたしにもあるし、当然乾にも」
そうかな、とぼくは無機質に返事した。
「わたしはお前達に捕縛されたとき毒を飲んだ。それも、もしかしたらそのくだらない自己満足、プライドのためなのかもしれない」
またヘルガがしゃがみこむ。肩ひざを突いた姿勢。かっこいい。
「乾が我々に従順に従わなかったのも、そのプライドというやつのせいだろう」
「それは、うん。認める」
「プライドのない人間は、畜生だ」
ヘルガはしあわせ草の花弁を指でそっと撫ぜた。
「乾。お前を除いた他の労働者にはプライドがなかった。我々の家畜となり下がってな」
ぶち、と音がした。ヘルガはしあわせ草の花びらを千切り、それをぼくに向かって放り投げた。
「少なくともわたしは、お前が少しだけ好きだった」
「過去形?」
「いや、その、なんだ」
ヘルガは首をゆっくり振りながら、またぷいと向こうを向いてしまった。
「今でも、多少は好感が持てる。それも他の奴らと比べて、の話だ」
「うん。それはありがたい。僕のくだらない自己満足が満たされた気がするよ」
ヘルガがははは、と笑う。楽しそうに笑うヘルガは、どこか物悲しげに見える。
「さぁ、もういいだろう。わたしを連行しろ。団長が倒されたんだ。抵抗はしない」
自己満足だってよかった。というよりも自己満足を満たすことしかぼくらには許されていなかった。度を過ぎれば射殺される。だからぼくは、あくまで「自己満足」の範囲で抵抗していた。ささやかなものだけれど。
そりゃあ自分が満足するだけでよかったのに、それが誰かに認められたとなればやっぱりぼくだって嬉しい。このばかみたいな生活で、少しだけ幸福を感じられた。
「やっぱりしょぼくれていたりはしてなかったか」
皮肉を言うぼくに対して、ヘルガは檻の奥で冷たい微笑を浮かべていた。
「軍人が死を恐れていてどうなる?」
「見くびっていたなぁ、やっぱり」
「わたしの台詞だろう? それは」
ごめん、と笑ってぼくが答える。
「ヘルガ。どうしても聞きたいことがあるんだ」
「なんだ?」
「君は、どうしてマコンデのように自殺をしなかったんだい?」
ヘルガがぼくを睨む。やっぱりこの恐怖には慣れていない。
「お前が言ったことだろう。自殺をするなどくだらないプライドのためだと」
「それは、その、そうだけど。取調べとかあるんだろ?」
「当然だ」
「BB団のこと、知られたくないんじゃないか」
ヘルガが黙り込む。
「団長がやられたんだ。仕方がない」
ぼくは、少しだけ閉口する。ぼくらの行為は正しかったんだろうか?
「ヘルガ」
「なんだ?」
「しあわせ島に行って、僕はいろいろなことを学んだ」
ぼくの言葉にヘルガがばかにしたような表情で笑う。
「変なことを言う。やっぱりお前は変わっている」
「そうかもね」
素直な返事を返す。
ぼくはポケットに手を入れ、花を取り出した。枯れた花。
「なんだ、それは」
「ここに来る途中にあったんだ。図鑑で見たことがある。確か、ツワブキっていう花だったと思う」
「それがどうしたんだ」
「本当は、綺麗な花なんだよ。咲いているときは」
ぼくは干からびた花を片手で強く握る。ガラス細工のように割れて、散っていった。
「綺麗な花なのに、死んだらこんなに醜くなる」
「生きるというのはそういうことだ」
「だから、ぼくも目に焼き付けておきたいんだ」
あー、と間を置いて続けた。
「ヘルガという女性が、確かに存在していたことを」
驚いたように身を引き、それからすぐにヘルガは返事をした。
「バカだな、お前は」
自嘲的に笑うヘルガは、綺麗。久しぶりに彼女の本物の表情を見られた気がした。
「僕も、ヘルガのことが少しだけ好きだったよ」
ヘルガは黙り込んで、ぼくの目をじっと見つめた。
少しだけ、好きだった。
その嘘が、ぼくが彼女にかけた最後の言葉となった。
本当のことなんて、言えやしない。
しあわせ島の労働者だったぼくが、言えるわけがない。
しかも、処刑を目前にした相手に言う権利なんて、余計にない。
散った花びらに目を落とし、ぼくはその場を後にした。
さようなら。しあわせ島。
さようなら。ヘルガ。
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