×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。

#2.Boy, I'm gonna try so hard

 

 近隣の高校からはよく『お嬢様学校』といわれている、ここ恋恋高校。それは女子高であるということと、偏差値が高いことが理由かと思われている。恋恋高校の偏差値はおよそ65前後がラインとされており、かなり敷居は高い。この付近では聖皇学園高校の約72に次いで非常に高い偏差値を誇っている。そんなお嬢様学校の恋恋高校だが、内装も通り名に負けず劣らずであった。
 三つの校舎がコの字型に並び、その真ん中に広い中庭があり、所々に木々が並んでいる。今は春なので桜色をした樹木と観葉植物が綺麗に並んでいる。端の方にはベンチが設置されており、時々生徒の休憩所として活躍している。足立は近くに備え付けてある自動販売機でフルーツミックスを買うと、ぼんやりとベンチに座り込んだ。結局野球部に入ると軽く返事してしまったのだが、あれから桐島はどうなったのだろうか? 本当に恋恋高校に野球部が作れるのだろうか。はじめは野球をするつもりなんてさらさらなかったというのに、今はそのことが気になって仕方がないのがなんだがおかしかった。
 空になったフルーツミックスの紙パックを握りつぶし、近くにあったゴミ箱に放り投げる。昼休みはあと40分ほど残っている。さて、どうしたものかと足立は体を思い切り伸ばしてみた。昨日までは窮屈でたまらなかった身体が嘘のように軽かった。
「よう、足立」
 足立が首を曲げて声のした方向を振り向いた。透明なガラス戸を開き、それに寄りかかるようにして立つ桐島潤の姿がそこにあった。桐島は幾分か晴れ晴れとした表情で足立を見詰めている。なにかいいことがあったのかな、と感じさせた。
「愛好会の申請書を貰ってきたぜ」
 そう言って桐島は一枚の紙を取り出した。覗き込んでみると、なるほどそこには『恋恋高校野球同好会』の文字があり、桐島と都川、そしてあおいと足立の名前も書かれていた。
「最初は愛好会扱いなんだね」
 足立の返答に、桐島は困ったように頭をかいてみせた。
「まあ、仕方ねえさ。とっとと部員集めれば正式な部活動になると思うからさ」
 申請書をひらひらさせながら、桐島は微笑んで見せた。
「あーっ、いたいた!」
「やっぱりここだったか」
 都川とあおいの声だ。
 パワフルバッティングセンターでは気づかなかったことだったが、どうやら二人は同じクラスらしい。あおいの方は都川を知っていたのでわかっていたようだが、都川は気づかなかった。帰り道で必死に言い訳をしながら取り繕う都川の姿はなんだか可笑しくて、可愛らしくもあった。
「桐島くん、理事長に話したんだよね? どうだった?」
 あおいが言う。
「ああ。野球同好会としてなら活動を認めてもらえたよ」
「てことは、正式な部活動じゃねーのか。いつ野球部になるんだ」
「部員が全員揃ったら、かな」
「じゃあ」
「勧誘! ……だね?」
 あおいの声が場を支配した。都川や桐島よりもむしろ、彼女の方が情熱溢れているように見えないこともないな、と足立はそんなことを考えていた。
「あぁ。でもまあとりあえずグラウンドも使えることだし……」
「行こうぜ、練習っ」
 足立は三人の話を聞きながら、ゆっくりと腰を上げた。そのタイミングが頃合を見計らったかのようだったので、三人は急に足立に目線を向けた。足立は困ったように笑うと、両手を開いてきざに振舞ってみせる。
「さあ、行こうか」
 ――恋恋高校野球同好会が発足した瞬間であった。

 

 

 学ランを脱ぎ、制服のズボンをジャージに着替えると、足立はうん、と伸びをした。まだユニフォームを作るまで至っていないので、練習はしばらくTシャツにジャージだそうだ。もっとも、都川だけは『ジャージが嫌いだ』というよくわからない理由で普通にジーンズを履いている。
 都川の投げ込む速球が、桐島のグローブに納まった。都川の球はずいぶんと速い。高校一年生だというのに130kmはありそうだ。そんなボールをいとも簡単に受けている桐島も大したもので、彼が今までにどれほど練習をつんでいたかがよくわかる。
 ストレッチを終え、足立が立ち上がった。まだ自分のポジションが決まっていないため、まずなんの練習をすべきか少し悩んでしまう。投手は二人いるのだから、自分は違うポジションに就くのが妥当というものだろう。さて、どうしたものか――。
「みんなーっ」
 あおいの声だった。足立が振り向き、桐島たちも練習を中断して声がした方向を向いた。制服姿のあおいが元気よくこちらに向かって手を振っている。その横に、見慣れない女子生徒の姿があった。
 茶色の長い髪は綺麗なストレートで、太陽の光に映えてきらきらと光っている。前髪を少しだけ短く真っ直ぐに切っており、サイドに流した髪を二つ束ねている。身長は――少し低めだろうか。並んでいるあおいよりも少し低い。あおいの身長が158cmなので、150cmを少し超える程度だろうか。大人びた外観とは対照的に少女のような印象も受ける。
「この子ね、ボクの大親友の七瀬はるか! 今日からマネージャーになってくれるって!」
 おおおおお、と二人から歓声が上がった。
「いい! キミ凄くいいよ! GOOD!」
「マネージャーか! 雑用もキャプテンのオレがやらなきゃいけないと思ってたからなあ。助かるよ、ありがとう、あおいちゃん、はるかちゃん」
 都川と桐島の温度差がひどい中、七瀬はるかはおどおどと何かに怯えているような風である。そんなはるかを見て、足立はぺこりと頭を下げて見せた。その一瞬、はるかが安心したように笑って見せた。
「あ、あの、はじめまして。七瀬はるかです。野球のことは詳しくないんですけど、よ、よろしくお願いします!」
「お願いしまーーっす!」

 マネージャーまでやって来るとはな、と足立は一人考えていた。桐島潤から自分たちだけで野球部を設立し、甲子園を目指すという夢を聞いたとき、本心では不可能だと思っていた。なんといってもここは元女子高なのだ。部員の数も早々集まりはしないだろうし、なによりも近くにいくつかの強豪校が控えている。甲子園に何度も出場経験があるあかつき大学付属高校。二年生のエースが蛮勇を奮っているとされるそよ風高校。毎年コンスタントに結果を出している中堅、パワフル高校。そして聖皇学園高校も、今年度に怪物級のエースを迎えたという噂もある。こんな激戦区に身を置いて勝ち抜いていけるものか、と危ぶんでいた。しかし、桐島や都川、そしてあおいの姿を見ているとなんとかなるのではと思ってしまう。そんなパワーを、この三人は持っていた。
「さあ、それじゃあそろそろ練習再開するかっ」
 桐島がそう言い、都川とともにグラウンドの向こうへと歩いていった。取り残された足立はさてどうするかと考えている。するとあおいが足立のそばへと歩み寄り、にっこりと笑って見せた。
「ねえ、足立くん」
「うん?」
「よかったらさ、ボクの球を受けてくれないかな」
「ああ――もちろんいいよ」
 足立はグローブを拾い、ん、と呟いた。
「キャッチャーミットってないのかな」
 足立の質問にあおいは人差し指をあごに当ててうーん、と呟いた。
「確か一つしかないけど……今は桐島くんが使ってるみたいだね」
「そうか。じゃあ貸してもらおうか」
 足立は桐島のそばへ行き、キャッチャーミットを貸してくれるよう頼んだ。すると桐島は思いのほか簡単にそのミットを渡してくれた。どうやらこれからは打撃投手をするつもりだったらしい。足立はキャッチャーミットを左腕に装着すると、すぱん、と右手で叩いて見せた。
「へえ、似合う似合う」
「え、そうかな」
「うん。足立くん、結構サマになってるよ」
 あおいの言葉に苦笑しながら、足立はしゃがんで構えを取った。
「まずは軽く投げるね。それでどんどんスピードをあげていくから、受けられなさそうになったら言って」 
「うん、わかった」
 足立の返事のあと、あおいはす、と構えを取って見せた。パワフルバッティングセンターで見せたあの綺麗なフォーム。だが、そこから疾走したのはスローボールであった。キャッチボールのような遅い球。足立はそれを難なく掴むと、あおいに向かって投げ返した。
「あおいちゃん、さすがにもうちょっと速くても大丈夫だよ」
「そう? じゃあ少し速めにいくね」
 あおいがもう一度、投球フォームを見せた。やはり相手が初心者の足立とあってかなりの遠慮が見え隠れしている。
 再びあおいの手から放たれた硬球は先ほどの球より鋭いノビを見せ、足立のキャッチャーミットに小気味の良い音を立てて吸い込まれていった。120km/h近くは出ていそうなボールだったが、足立はなんとか捕球することが出来た。足立がボールを投げ返したとき、 あおいが少し感心したような表情を見せていることに気がついた。
「すごいよ、足立くん」
 え? と足立が返事をする。
「今、結構本気で投げたんだけどな。ばっちり捕球しちゃうんだもの」
「運がよかっただけさ」
「そんなことないよ。構えとか、すごく投げやすいし」
「キャッチャーでも目指そうかな」
 足立の何気ない一言に、あおいはひどく衝撃を受けたようだった。
「そうだ! うん、それがいいよ! 足立くん、今からキャッチャーね」
 興奮したようにあおいが話しかける。
「え。そんなのでいいのかな」
「いいんだって。ピッチャーのボクが言うんだから、間違いないよ」
「そういうものかな」
「そういうものだよ」
 ポジションは悩まされると思っていたのだがずいぶんと簡単に決まってしまったな、と足立は思った。まぁ、もともとピッチャーをやるつもりはなかったし、今、あおいの球を受けているのも楽しかった。他のポジションを試してみたいと思う気持ちがなかったわけではない。ただ――足立は少し、考えなければいけないことがあった。
 自分がしたいことはなんなのだろうか。再び頭の中を反芻してみる。足立は様々なことを巡らせてみたが、やっぱり答えは決まっていた。
「うん。じゃあ、頑張るよ」
 足立の返事に、あおいはとびきりの笑顔で応えてくれた。
 ――いい子だな。
 足立はいまさらながら、そんなことを思っていた。

 

 

「はあぁ〜〜〜」
 彼女の周りすべてが深海まで沈んでしまいそうな、暗いため息だった。昨日の練習で張り切りすぎてしまったのか、今日は少し右腕が痛かった。足立の構えがあまりに投げやすいため、自分でも気づかないうちに投げすぎてしまっていたようだ。あおいはぶんぶんと右腕を振り回しながら、また、大きくため息をついた。
「どうしたの? あおい」
 ふと隣を見ると、そこにははるかがぽかんとした表情で立っていた。あおいとはるかはクラスが隣なので、休み時間になるとお互いが行き来している。今日ははるかの方がやって来たようだ。
「聞いてよはるか」
 あおいが机に肘をつけて口を開く。
「今日部員を勧誘しようと思ってたんだけどさ、ボクのクラス、男の子が都川くん以外いなかったんだ」
「そうなんだ。まぁ、共学になったっていっても、まだ男子はそこまでいないものね」
「ねえ、はるか。はるかのクラスに男の子っている?」
 あおいの質問に、はるかはぎょっとして閉口した。そんなはるかを見て、あおいの目がきらりと光る。
「いるんだね?」
「え、あ、いるにはいるんだけど……」
「なに? なにかあるの?」
「うーん。なんていったらいいのか……」
 はるかの煮え切らない態度に業を煮やしたのか、あおいは立ち上がり、はるかの手を引いて隣のクラス、1年D組へと足を運んだ。
「あっ、ちょっと待ってよあおい」
 はるかの言葉を無視し、あおいはD組の窓から中を覗き込んだ。
 いた。
 女子の白と水色を基調にした可愛らしいデザインの中、一人真っ黒な学ランを着込んだ生徒がいる。男子生徒は机に突っ伏し、どうやら眠っているようだった。一見すると普通の光景であったが、その男子生徒は一見して目をしかめたくなるようなものを持っている。それが、髪の毛だった。
 男子生徒は髪の毛を完全に金色に染めており、所々パーマをかけたようなあとがある。よくよく見てみれば足元のズボンはいささか太いようにも見える。つまりは――『不良』のようだ。
 あおいは少しだけ迷ってしまった。いくら気が強いといっても、あおいはまだ15になったばかりの女の子である。さすがにあそこまで周りを威圧している不良に話しかける決心がつかなかったのだ。
「やあ、あおいちゃん」
 そんな中、救いの声が届いてきた。声の主、足立真吾は教科書を片手に持ち、あおいに向かってにこやかな笑みを携えている。
「足立くん! ちょうどよかった」
「え、どうしたんだい」
「ここ、はるかのクラスなんだけどね、男子がいるんだよ」
「へえ、珍しいね。僕のクラス、男子は僕だけなんだ」
「大体そうみたいだよ、それでさ。野球部に勧誘しようと思ったんだけど……」
 あおいの言葉を聞いて、足立が窓からちらと中を覗き込む。途端、あおいの言葉の真意がつかめたようで、苦笑いにも似た表情を見せた。
「なるほどね」
「どうしよっか」
「男子生徒は貴重だからね。贅沢は言っていられないさ」
 そう言うと、足立は物怖じもせずにD組へと入っていった。あおいは慌てて足立の後を追ったが、その頃にはもう足立の手が男子生徒の肩に触っていた。
「ごめん、寝てるところ」
 眉をしかめ、男子生徒が起き上がり足立を睨んでいた。足立はというと相変わらず口元に笑みを浮かべ、優しい瞳で彼を見つめていた。
「僕、1年A組の足立っていうんだけどさ。今、野球部を作ろうとしてるんだ。それで、男子に声をかけているんだけど」
「野球だ?」
 男子生徒は低い声でそう返事をした。地声が低いのか寝起きだからなのか判別がし難かった。
「うん。どうだい?」
「興味ねえな」
「つれないな」
「今更そんなこと言われてはいそうですかっていう方がどうかしてるぜ」
「一理あるね」
 さて、どう押していこうかと足立が少し黙ったその瞬間、男子生徒の目線が一瞬平行に動く。彼の目線は、あおいに釘付けられていた。
「はあん。そういうことか」
「え、なにがだい」
「早川あおいじゃないか」
 あおいはびっくりしたように男子生徒を見詰めた。
「え、ボクを知ってるの?」
「早川こそ、俺を知らないのか」
 男子生徒は口角を上げて、挑戦的に笑って見せた。
「ええっと……」
 どうやら思い出せないらしい。そんなあおいを見て、男子生徒は立ち上がった。一瞬だけあおいの目を見ると、歩を進めてあおいの目前で立ち止まる。あおいの体が少しだけ強張っているのを見て、足立は右手を差し出し制止をしようとした。
「まだ、わかんねえか?」
 二人の距離が息がかかりそうなほど近まったそのとき、あおいが「あーーっ!」と大きな声を上げた。
「さ、酒井くんっ!?」
「ふん。思い出せたじゃねえか」
 男子生徒、酒井はそれだけ言うと、また再び自分の席につき、仮眠の続きをとろうとした。
「酒井くん、どうしてキミが恋恋にいるの?」
「うるせえなあ」
 酒井が手をひらひらさせて合図する。
「恋恋に入学したんだから、もう野球はやらねえよ」
「でっ、でも」
「知り合いかい?」
 狼狽するあおいの後ろで、足立が静かにそう話しかける。
「う、うん。中学のとき、何度か練習試合をしたことがあるんだ」
「へえ。野球経験者か」
「ねえ、酒井くん。本当にもう野球はやらないの?」
 しばらく返事はなかったが、やがて酒井は低い声で答えを言った。
「野球をやるつもりなら、こんなとこ来ねえさ」

 

 

「酒井涼一(さかい りょういち)。あかつき中学出身。ポジションはショート。右投左打の強打者。守りのときは堅実で、職人技とも言える華麗な守備を見せた」
 あおいが機械的にそう説明する。あれから三人はD組をあとにして、これからの動向を話し合うために中庭へと足を運んでいた。足立は紙パックのレモンティーを飲みながら、あおいの話を聞いている。
「酒井くんの守備は本当に凄かった。エラーをした所なんて一度も見たことがなかったし、もしかしたらプロのスカウトも目をつけているんじゃないかって噂もされていたんだけど、どうして恋恋高校に来たんだろう?」
「彼にもいろいろ理由はあるさ」
「あーあ。酒井くんが入ってくれたら、恋恋高校野球部が一気に強くなるんだけどなあ」
「まぁ、こっちとしてもあれだけの逸材をそうそう諦めるわけにはいかないしね。なんとかするさ」
 足立は殆どなくなったレモンティーを飲みながら、彼、酒井涼一のことを思い返していた。
 大柄な体躯に太い腕。少し四角い顔は純日本人を強く感じさせる。細い眉に細い目は金色の長い髪の毛と相まって、まさに周りを威圧するために作られたようであった。しかし、彼の態度そのものは至って普通で、むしろ優しく、好感が持てる。あおいに因ると中学時代は髪の毛は黒かったし、眉も今ほど細くなかったという。だから一目でわからなかったのだ。一体彼に何があったというのだろうか。
 しばらくそんなことを考えこみ、沈黙が続いていたのだが、不意にはるかが立ち上がった。何があったのかと二人が顔を上げる。するとはるかは何も言わずにただ笑顔を見せて、くるりと身を翻してどこかへ向かっていった。
 足立はそんなはるかの後姿をじっと見詰め、ふっ、と口元で小さく笑っていた。

 

「酒井さん」
 はるかの優しい声に起こされ、酒井はん、と返事をした。
「さっきの話の続きをしませんか?」
「お前もしつこいな、七瀬」
 酒井は起き上がり、椅子にどっかりと座りなおした。足を組んでひざの上に肘を突くと、酒井はじろりとはるかを見上げだす。
「俺はもう野球をやる気はねえんだよ」
「部員が足りないんです」
「知ったこっちゃねえよ」
「ねえ、酒井さん」
「なんだよ」
「酒井さんって、あおいのことが好きだったんですよね」
 その言葉を聴いた瞬間、酒井はぎょ、として目を見開いた。
「あかつき中学のチームメイトに相談してたって、聞いてます」
「なんだよ、今更」
「あおいが聞いたらどんな顔をするのか、楽しみです」
 はるかがにっこりと笑う。そんなはるかを見て、酒井は若干うろたえて見せたが、すぐに平静を取り戻していった。
「脅迫か? まったく、色々な手段が飛び交うな」
 酒井はふう、とため息をついてはるかを見直した。心なしか顔が紅潮しているようである。
「そりゃ1年の時の話だろ。あの時はそりゃそうだったけど、今は別にそんなこたねえからな。そこまで痛手じゃねえよ。残念だけどな」
 はるかはふーん、とさも動揺していないという風を装っていたが、内心ではがっかりしていた。これははるかだけが知っていた秘密だし、マネージャーとして部員を増やせるチャンスだと思ったのに。
「じゃあ、どうしたらいいんですか?」
「そうだな」
 そう言うと、酒井はにやにやとはるかを見つめてみせた。なんだか、わざといやらしい笑顔を見せているようにも思えた。
「七瀬が一晩付き合ってくれるっていうんなら、考えてやってもいいぜ」
「いいですよ」
 はるかは、間髪入れずにそう答えた。その反応がひどく意外だったらしく、酒井が大げさに驚いている。はるかは、あくまで余裕を持ちながら言葉を続ける。
「でも、野球部に入るだけでいいなんて、わたし、そんな安い女じゃありません」
「なんだよ、条件の追加か?」
「はい」
 はるかは、今までで一番大きく、そして、優しい笑顔を携えて言った。
「甲子園に出場したら、いいですよ」
 ちっ、と酒井が舌打ちをして床を睨んだ。自分としたことが、うまい具合にはめられてしまったようだ。はるかが一晩付き合えば野球部に入るといってしまったあとで、こんな無理難題を出されるとは。酒井はふー、と大きくため息をついて口を開いた。
「やっぱり、柄じゃねえな」
 酒井は右手で大きく頭をかいてみせた。
「どれだけ粋がってみても結局女にゃ適わねえんだからな。だっせえもんだぜ」
 優しく笑うはるかを見て、酒井は一人そう自嘲した。


 こうして今日、恋恋高校野球愛好会は――まず、一人の部員を確保した。

 

 

 

 

 

>>#3.困っちゃうんだよなぁ。


Back